『§まっすぐに生きるのが一番』
「第95話:足の裏の米粒」

 

 

哲也が意図しないまま「殺し文句」を言った瞬間から、哲也と優花はお互いを認め合った唯一の存在として、恋人同士の関係になった二人の物語。

 

 

前回は、人生人に頼り、頼られる関係をつくることができれば、そこに『信頼』が生まれ、それはすべて『愛』へとつながる行為なのだと、哲也と優花はそんな話をしていた。

 

 

哲也は、優花のおばあちゃんとの出会いで、様々なことを聞き考え、そして日々の中でも、気がつけば、おばあちゃんが言ったことを意識しながら生活を送っていた。

 

 

哲也は最近おばあちゃんと会う機会が減った分、優花と過ごす時間が増えていた。

 

 

 

「最近ご無沙汰だけど、おばあちゃん元気?」

 

 

「元気にしてるよ。またおばあちゃんに会いたい?」

 

 

「そうだな、おばあちゃんとの時間は強烈だったからな」

 

 

「私といる時よりも」

 

 

最近哲也は、優花がなにかと自分が言った言葉に絡んでくるようになり、『焼きもち?好きの裏返し?』と、よく思うことがあった。

 

 

「優花がいてのおばあちゃんだよ。優花といる時が一番」

 

 

「ほんとに」

 

 

「一番落ち着くし」

 

 

哲也は、最近優花がこのように聞いて来るので、素直な言葉が出るようになってきたが、はじめの頃にこのように言われると、はずかしくて、つい言葉を濁していた。

 

 

時々、こんなに何でもかんでも思ったことを言っていたら、子供っぽくて頼りがいがなんじゃないかと、不安になることあったけれども、思い切って言ってみると、『素のままでいて!』って言われて、それからは思ったことを言うように意識していた。

 

 

そんなことがあってからか、優花からの自分への愛情を感じる機会が増えたように思え、より心が安定し、一緒にらくさがあり、また心が強くなった気もしていた。

 

 

 

「優花と一緒にいるだけで、心落ち着くし、また二人で何か楽しいイベントとか考えて、二人の想いでも増やしていきたいな」

 

 

「うん、そうしよう。ずっといるとマンネリ化してくるしね」

 

 

哲也も薄々わかっていたけれども、さすが優花は現実的だから、冷静にものごとみてるな、と思った。

 

 

「この間少し上の先輩夫婦が、自己啓発系のセミナーに行って来たんだって。結構ためになってよかったって、勧められたんだ」

 

 

「セミナー?どこかへ遊びに行ったりする話じゃなくて?」

 

 

「たくさん本を出してて、けっこう本屋でも興味あって立ち読みしてたんだ。そうそうそれに、おばあちゃんが言っていたこともよく書いてあったりして」

 

 

「そのセミナー行ったらいいことあるの?今の哲也にプラスになること?」

 

 

「まあ、聞いてみたいなって思っただけで」

 

 

「なにか哲也の中で、これからの人生に困ってることあるの?」

 

 

「そう言うわけじゃないんだけど、前からちょっと興味があって、先輩から勧められてまた近々セミナーがあるって言われたから」

 

 

「ふ~ん。私は遠慮しとくわ」

 

 

「まあ、ちょっと興味があったから話しただけ。何ていうのかな、まあ先輩から話を聞いて『足の裏の米粒』のように思っただけかな」

 

 

「『足の裏の米粒』って?」

 

 

「行ったところでたいしたことないと思うけど、行かないとなにか気持ちがもぞもぞするって感じで」

 

 

「ふ~ん、哲也一人で行ってきたらいいじゃん。それより『足の裏の米粒』って、『取っても食べれないけど、取らないと気持ち悪い』って意味だよね」

 

 

「うん、そう」

 

 

「普通資格とかの話でよく使われて、資格を取ったところで食べれないけど、資格を取っておかないと気持ちが落ち着かない、ような例えで使わる言葉だよね」

 

 

「うん、大学卒業して医者になったけど、医学博士まで取らないと。でも医学博士を取ったとしても食べれないけど、医師として取っておいた方が・・・と、揶揄した言葉」

 

 

「知っていたらいいけど」

 

 

哲也は不機嫌になっている優花をみながら、トークを間違えてことに自己嫌悪になりながら、『足の裏の米粒』のようにすっきりしとしない気分だった。

 

 

 

私たちは、日々変化のない中で過ごす時間が長すぎると、『このままではいけないな、何かやったほうがいいんだけど』と言った気持ちに駆られる。

 

 

そして、『足の裏の米粒』のように時間とお金を費やし、結局その時はよかったけれども、時間が経つとともに気持ちがフェードアウトしていく経験をよくする。

 

 

時代は情報が飛び交い選択肢が増え、価値観も多種多様になり、私たちの意識はその流れに翻弄されるように流されていく。

 

 

他律的な環境で教育され、自らを律することが苦手な日本人。

 

 

ものが豊かになり、情報が溢れ、選択と自由を手に入れた今、私たちはこれからの急速に進化する新しい価値観の時代をよりよく生きていくために、

 

 

主体的でもっと日々意識して私を生きる力を身に付けた、自律した生き方を意識して行く時代と言える。

 

 

現実に目を向けると、米中の貿易摩擦、トルコリラの暴落によるデフォルト(債務不履行)の危機に波及する発展国への影響とEUの資金引き上げ(資金回収)の経済危機。

 

 

国内に目を向けると、生産者人口の減少による人手不足、人生100年時代と言われるようになり老後の資金問題。子供の貧困化。さらに、頻繁に起こる自然災害の脅威。

 

 

人生楽しむことの裏側で、自分の人生そのものに、
自律した責任ある行動が、今以上に求められる時代がこれからやってくるのかもしれない。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

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