『§まっすぐに生きるのが一番』
「第96話:“おはよう”の挨拶が起こした奇跡」

 

 

哲也が意図しないまま「殺し文句」を言った瞬間から、哲也と優花はお互いを認め合った唯一の存在として、恋人同士の関係になった二人の物語。

 

 

前回、哲也は優花との会話ですっきりしない気分になっていたが、それはほんの一時のことであった。

 

 

哲也はふと優花のおばあちゃんが、いつも優しく迎えてくれることを思い出し、昔あった挨拶のことを思い出していた。

 

 

 

「優花のおばあちゃんって、いつも気持ちのいい挨拶をしてくれるよね」

 

 

「どうしたのよ、思い出したように」

 

 

「まあ、思い出したんだけどね。あのおばあちゃんの気持ちのいい挨拶を思い出してると、昔にあったことを思い出したんだ。

 

 

大学生の時に、少しの期間、早朝のパンの配送アルバイトをしていた時があって。

 

 

朝午前4時に工場に行って、そこから自分が担当したのはターミナル駅の2階にあるパンとカフェが一緒になったお店にパンを運んでいたんだ。

 

 

ターミナル駅に着く頃は電車の始発が走る前で、2階にある私鉄の改札口のシャッターも近くにあるパン屋のシャッターも下りていて、シャッターの横の勝手口から預かってる鍵で扉を開けてパンを運ぶんだけどね。

 

 

そのシャッターが下りているパン屋の前には、ホームレスが数人いて、寒い時期だったから段ボールの上で毛布に包まって寝ている人がいたりしてね。

 

 

その中に、いつも敷いた段ボールの上に前かがみに正座しているおばあちゃんがいてね。

 

 

そのおばあちゃんは、その前を人が通る度に“おはようございます”と、しゃがれた大きな声で言っているんだ。

 

 

はじめ見た時、俺も声を掛けられたんだけど、なんか怖くて無視したんだよね。

 

 

それでも週何回か運ぶわけで、次の日も言われたんだけど無視してて。

 

 

確か次の週に運んだ時に少しお店に到着が遅れて。改札口のシャッターが開くと人通りがあってパンを運びにくいから、少し慌ててたんだ。

 

 

そのときに、そのおばあちゃんの存在も視界に入ってなくて、そうしたら“おはようございます”と、しゃがれた大きな声で言われて、無意識に“おはようございます”って返してて。

 

 

それから“おはようございます”と、こっちからも声を掛けるようになったんだけど。俺から“おはようございます”と言うと、無言になるんだ。

 

 

でもね、その言ったときのおばあちゃんは、下を向いたままなんだけど、なんか受入れてもらっている感じがしてさ。

 

 

いつも通りすがりの挨拶で、顔をみて挨拶するわけでもないんだけどね。

 

 

ある2月の冬の日だったと思うんだ。この時期はバスツアーのスキー客が早朝に駅に着いて、始発まで改札口のシャッターが開くのを待っていることが多くなってさ。

 

 

ある日パンを運んでいると、お店のシャッターの通用口の前を塞ぐように、電車を待っているスキー客のスキー板が何本も並べられていてさ。

 

 

“のかせてもらわないと”と思っていると、大きなしゃがれた声で、

 

 

「じゃまや、じゃまや!パン屋さんが来てるやろ、じゃまや、じゃまや!」と、お店の通用口のところまで来て叫んでくれたんだよ。

 

 

スキー客が自分のスキー板のところに近づいてきて、怪訝な顔でおばあちゃんを見ながらスキー板を移動させてくれたんだよね。

 

 

俺も“すいません~”とスキー客に言いながらパンを中に運んだんだよね。

 

 

帰りにおばあちゃんに“ありがとうございました”と言うと、下を向いたまま段ボールの上に正座したまま俯いていて、聞こえてないのかともう一度言うと、

 

 

おばあちゃん、正座をして俯いたまま手だけを頭の上で“かまへん、かまへん”って手を振ってくれてさ。

 

 

なんかめちゃくちゃ嬉しくてさ。

 

 

帰り道に運転する車中でそのことを思い出してると、『“おはよう”の挨拶が起こした奇跡』じゃないかなって思って。

 

 

何度も何度も思い返しても、おばあちゃん俺のためにしてくれたんだよ。

 

 

日々さりげない挨拶だけど、それがずっと続くと、人って何かしら嬉しい気持ちになるのかなって」

 

 

 

「哲也すごくいい話だね。おばあちゃん、哲也に挨拶してもらってとっても嬉しかったんだね。

 

 

哲也から挨拶したら、おばあちゃん無言だったんだよね。おばあちゃん挨拶しても誰からも無視されて、それが哲也から“おはよう”って声かけて、おあばあちゃん、嬉しかったんだと思うよ。

 

 

おばあちゃん、今までそんなふうに挨拶されたことなかったから、どう反応していいかわからなかったんだね。

 

 

おばあちゃん思ったんだろうね。

 

 

誰もこんな私になんか声なんて掛けるはずはないと思っていたのに、こんな私に声を掛けてくれて。それも会う度にずっと挨拶し続けてくれて。

 

 

その嬉しい気持ちを哲也のためにお礼したかったんじゃないかな、何か役に立ちたかったんじゃないかな。

 

 

挨拶ってみんな大事なことだとわかっているけど、気持ちのいい挨拶は人を元気にしてくれるし、私のこと気にかけてくれてるっても思えるし、とっても大事だよね。

 

 

これってコミュニケーションの基礎の基礎よね。

 

 

挨拶する人が減って来たって言うし、社内でも相手の顔を見ず気のない挨拶や社交辞令っぽくお辞儀しかしない人が多いから。

 

 

これからも相手の顔を見て、気持ちのいい挨拶を心掛けていきたいね」

 

 

哲也は改めて、挨拶の大切さを、あのときのおばあちゃんがしてくれたことを思い出して、これからも職場でも積極的に顔を見て、元気よくしていこうと思ったのだった。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です