『§まっすぐに生きるのが一番』
「第85話:「ありがとうを言う数だけ人は幸せになる?」

 

哲也が意図しないまま「殺し文句」を言った瞬間から、哲也と優花はお互いを認め合った唯一の存在として、恋人同士の関係になった二人の物語。

 

前回は、与える喜びとは、まず自分自身が楽しいわくわくする気持ちになることが大切であって、だから人にもその豊かさをお裾分けすることが大事だと。

 

そして、自分が楽しくわくわくすることを考え、それを考えるだけでも至福の喜びに包まれているというお話でした。
今回は、“ありがとう”と言う言葉の大切さについてのお話です。

 

 

 

「哲也さんは、さっき『有ることが難しいことの大切さ』(第82話)について、話したわね。その“有ることが難しい”は“有り難い”であって、それが派生して“ありがとう”という話だったわね」

 

 

「はい、覚えていますよ。今は豊かになって物が豊富にあり、普通に生活しているとあまり困ったことがなくて、“有ることがあたり前”になっているっていう話でしたよね」

 

 

「だから“ありがとう”という感謝の気持ちを、持ち続けてほしいということだったわね。

 

 

ところで、哲也さんも優花ちゃんも、1日にどれぐらい“ありがとう”という言葉をいっているかしら」

 

 

「そうですね、う~ん、意識して覚えてるのは10回ぐらいですかね。多くても1日20回ぐらいですかね」

 

 

「哲也さんも優花ちゃんも、それって、多い?少ない?」

 

 

「う~ん、少なそうですね」

 

「私も少ないと思ったけど、意外と言ってないんだ」

 

 

「そうね、1日ありがとうと10回言ったとして、1年で3650回。確か2、30年前の本か、誰かから聞いたように思うんだけど、1年で10000回言うと幸せになるってお話を聞いたことがあってね。そう考えると少ないわね」

 

 

「おばあちゃんは、1日どれぐらい言ってるんですか」

 

 

「あまり意識して考えたことはないけれども、1日100回は言ってるかしらね」

 

 

「ということは、1年で36500回は言っている計算ですね」

 

 

「そうね、言葉で出して言っている時と、心で思っている時と合わせてだけどね」

 

 

「それで何か効果はありましたか」

 

 

「そう言われると何かしらね。もう毎日の日課になってるからね。

 

 

気分がいいことは確かね。

 

あまり悪い事に巻き込まれなくなったかしら。

 

いつも気分が清々しく、人の感情に左右されなくなったかしら。

 

自分の軸がぶれないというか、平常心でいられることが多いわね。

 

いろんなことに感謝する気持ちが強くなったわね。

 

自分が思うどおりに事が運ぶことが増えたかもね

 

 

 

「おばあちゃんは、毎日幸せですか?」

 

 

「そうね、幸せよ。自分が自分で在るということが幸せだね

 

 

「どうやったら、そんなふうになれるんですかね」

 

 

「どうやったらなれるのかしらね。

 

 

そうね、毎日連呼してもいいから、100回“ありがとう”を言うことからはじめてみるのもいいかもね。

 

 

その積み重ねが、自分を良い状態にしてくれると思うから、そうなると相乗効果でいろんなことに“有り難み”を感じられるようにもなるだろうし。

 

 

それに“ありがとう”と素直に人に言えるようになるから、人を自分のやり方や思い込みで判断したりしなくなって、人間関係も友好的になってくるかしらね。

 

 

日本では古来より『言葉には魂が宿っている』という考えがあるわね。言霊と言われたりするわね。言霊とは言葉の持つ霊的な力。

 

 

つまりは、プラスになる事を発していれば、脳科学的にも良い方向に向かうというから。

 

 

昔から「ありがとう」と言っているだけで、言霊の力でまわりに良いことが起こると言われていたから、やはり効果があるのだろうね。

 

 

それにしても、いろんなことが便利になって、あらゆるものが当たり前にあって、そう思えるから、あらゆるすべてのものに”ありがとう”と感謝をする気持ちを意識しなくなるのは、悲しいことだね。

 

 

“ありがと”という五文字のシンプルな言葉。

 

 

何かをしてもらったときの、お礼の言葉

 

なんだかわからないけれど、心温まる言葉

 

心を込めて言われると、うれしい言葉

 

誰かに言われると、幸せになる言葉

 

 

そして、そのような思いで人と関わっていくとき、人は幸せ以上に愛を感じるのかもしれないね

 

 

 

哲也と優花は、おばあちゃんの話を聞きながら、おばあちゃんの凄い一面を垣間見れた気がした。

 

 

哲也と優花は、おばあちゃんのようにはすぐになれないけれども、おばあちゃんのような人に近づきたいと、この“ありがとう”の話をまっすぐに受け止めたのだった。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

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