『§まっすぐに生きるのが一番』
「第86話:「幸せにくいのない人生を生きる」

 

哲也が意図しないまま「殺し文句」を言った瞬間から、哲也と優花はお互いを認め合った唯一の存在として、恋人同士の関係になった二人の物語。

 

 

 
前回優花のおばあちゃんは、“ありがとう”について、日頃私たちはどれぐらい“ありがとう”と言っているだろうかと、哲也と優花に投げかけた。

 

 

そして、“ありがとう”という五文字のシンプルな言葉が、幸せをつくると話したのだった。

 

 

今回は、“ありがとう”という言葉から幸せをつくり、そして、その幸せに悔いのない人生を生きることを話したのだった。

 

 

 

「哲也さんや優花ちゃんは、“ありがとう”の大切を理解してもらったと思うのだけれども。

 

 

“ありがとう”から派生する“幸せ”。

 

 

この“幸せに”悔いのない生き方をしてほしいと思うの」

 

 

「幸せに悔いのない生き方ですか?」

 

 

「そう、幸せに悔いのない生き方」

 

 

「はあ、幸せに悔いのない生き方ですか…。

 

 

悔いを残さない幸せな人生を送るってことですよね」

 

 

「う~ん、ちょっとニュアンスが変わってくるかな。

 

 

 これだと、“悔いを残さないために、幸せに生きなければならない”って、なにか肩に力が入った生き方になっちゃうわね。

 

もっともっとシンプルに考えて、

 

 

“毎日幸せになるために、ああでもないこうでもないと、いろんなことを考えて生きよう”って感じで、

 

 

ときには嫌なことや心配事や失敗もあるかもしれないけど、毎日いろんな幸せになることを考えて生き続けたときに、

 

 

“まあ、いろいろあったかもしれないけど、(今が幸せだから)悔いはないかな”って、そんなふうに思えることなんじゃないかしらって思うの。

 

 

そうそう、私ね、ずっと前に「北斗の拳」のにはまったことがあってね」

 

 

「え~!おばあちゃんが“北斗の拳!”」

 

 

「まあまま、私だって漫画くらい読みますよ。

 

 

ラオウがケンシロウと闘って僅差で負け、最後に言う名セリフ。

 

 

『わが生涯に 一片の悔いなし!』って。

 

 

乱世の中、ラオウが一生懸命生きて来たから言える言葉だと思うの。

 

 

だから、日々“どう幸せになろうかな”って、自ら主体的(能動的)になってそのような目標を日々持ち続けることが大切だと思うの。

 

 

そうそう、くれぐれも“どうやって幸せになろうかな”って考えないようにね。

 

 

“どうやって”は、なにかの方法を使ってとか、自らと言うより受動的なニュアンスになってしまうから、原因(動機)を間違えると結果が違ってくるからね。

 

 

 

ところで、“どう幸せになろうかな”って思ったとき、哲也さんも優花ちゃんも、この”幸せ“ってなんだと思うかしら。

 

 

これがわからないと、“幸せ”が漠然としたままになってしまうと思うの」

 

 

「幸せの意味ですか?」

 

 

「意味とはちょっと違うわね」

 

 

「えっえっ、幸せの意味ではなくてですか…」

 

 

「これももっともっとシンプルに考えたらいいと思うの。

 

 

“幸せ”は、『楽しいこと』『嬉しいこと』『美味しいこと』
『有り難いこと』『ありがとう=感謝』『相手のために奉仕すること』
『つながり』『思いやり』『気遣い』など。

 

 

そして、『愛されること』『愛すること』

 

 

そのために生きることが、

 

 

“幸せに生きること”だと思わないかしら。

 

 

これからの時代は、物質的に豊かになったから、
新しい価値観の時代になり、幸せの尺度も変わるよ」

 

 

 

哲也は、幸せに生きることをわかったつもりでいた。でも、実際に“幸せとは?”と聞かれると、言葉でなんとなく説明できたとしても、その言葉通りに生きている自分はいなかった。

 

 

よく考えると、日頃よくしていることであり、また考えることであったけれども、それを日々の中に意図して、意図的に生きていなかった自分がいた。

 

 

どちらかと言えば、自分に都合のいいように考えた、恣意的に生きている自分がいると思ったのだった。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

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