『§まっすぐに生きるのが一番』
「第89話:「今の自分は、自分のことがそんなに嫌いじゃない」

 

 

哲也が意図しないまま「殺し文句」を言った瞬間から、哲也と優花はお互いを認め合った唯一の存在として、恋人同士の関係になった二人の物語。

 

 

哲也は、優花の家で優花と一緒に聞いたおばあちゃんの話は、毎度毎度ながらに考えさせられ、生きる刺激をもらった。
そして、幸せについても、今まで以上に考えるようになった。

 

 

今日は、久しぶりに哲也は、自分一人で過ごす時間を持ったのだった。

 

 

哲也はここ何ヶ月、週末を含めいつも誰かといた。

 

 

といっても週末は、優花と優花のおばあちゃんと過ごしている日が多かった。

 

 

久しぶりに一人になった哲也は、優花にはわるい気持ちを抱きながらも、背伸びをしてそのまま脱力感のまま眠ってしまいたいぐらいに、大きな解放感を味わっていたのだった。

 

 

とは言うものの、哲也は優花のおばあちゃんから聞いた話が、心に残っていた。

 

 

『三つの心』。
素直な心・真心・仏の心、すなわち、ゆるしの心。

 

 

『三つの心』→『志』→『体験』→『学び』
→それが『自分を生きる力』
→そして『幸せに悔いのないように人生を生きる』

 

 

先の見えにくい時代だからこそ、
『幸せに悔いのないように人生を生きる』目標を持って、

 

 

日々、『三つの心』→『志』→『体験』→『学び』
→『自分を生きる力』を身に付けていく。

 

 

このように自分らしく生きるためサイクルを持っていると、
人はもっと『どう幸せに生きるか』を自分に問い掛けられると。

 

 

哲也は開放的な時間を味わいながら、
そんなことを考えている自分がだんだんと面倒になった。

 

 

『幸せになるために、いつもこのようなことを考えてると、頭も心もなにか疲れる。

 

 

いつもなにかそんなふうに思っていないといけないと思うと、幸せってなんだか面倒。

 

 

あ~あ、今が幸せだったらそれでいいじゃんか

 

 

哲也はそう思うと、大きく背伸びして床に寝転がった。

 

 

そして、哲也は今言った『今が幸せだったらそれでいいじゃんか』の言葉に、意識が止まったのだった。

 

 

 

『今が幸せ?今が?今、俺って幸せなんだ。
確かに幸せかもしれない。だけど、何に対して?

 

 

あ~考えるだけで面倒。

 

 

今が幸せだったら、それでいいじゃん。

 

 

そう思える自分に感謝。以上』

 

 

そう思いながらも、考えてしまう哲也。

 

 

『なぜ、そんなふうに思うのだろう』

 

 

そんなことを考えなくても、幸せに生きられると思いつつ。

 

 

『今が幸せだったらいいじゃん、みたいな発想は、以前はなかった。

 

 

考え方が変わった?確かに。優花のおばあちゃんと会ってから。

 

 

どんなふうに?

 

 

そう言えば、日々の中で、“幸せ”を感じたり、思ったりする感覚が増えた。

 

 

それに、“ありがとう”を言うことが増えた。

 

 

“有り難いな”と思うことが増えた。

 

 

公園で楽しそうに遊んでいる子供の笑顔をみただけで、楽しく幸せな気持ちになる。

 

 

以前はただ公園で遊ぶ子供の風景にしかすぎなかったのに。

 

 

そう思う分だけ、そう思えるだけで、俺は幸せなのか?

 

 

幸せは、自分がどう思うか、と言うことなのか。

 

 

おばあちゃんが、『どう幸せに生きるか』を自分に問い掛けられるかと言っていたが、そう言うことなのか。

 

 

そう思うと、人は無意識にそう思いながらも、気がつけば意図的に幸せについて反応するようになっているのか。

 

 

緊張の場面で、“私はできる、大丈夫”と何度も念じるように。

 

 

以前の自分だったらこう言っていた。

 

 

“どうやったら幸せになれるだろうか”と。

 

 

もう幸せになるために、考えなくてもいいようだ。

 

 

その代りに、
“どう幸せに生きるか”と考えた方が、

 

日々の中で“幸せ”や“感謝”“有り難み”を感じる感性が磨かれ、
今の自分が幸せであることを感じることが増える気がする。

 

 

気がつけば、今の俺は、自分のことがそんなに嫌いじゃない

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

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