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私たちの心は、
愛という安らぎで満たされているとき、
何の不安も欲求もありません。

 

そんなときは、それを感じるだけで、
お腹(心)いっぱの気持ちになります。

 

そんな人の中には、
そんな幸せな気持ちを他の誰かにあげたくなり、
一緒にその気持ちを分かち合いたくなります。

 

一方、心満たされていないと感じているときや、
ストレスなどがあって心落ち着かないとき、
私たちは心幸せなときを知っているので、
その心を幸せで満たしたくなります。

 

でも、ここでよくおちいる罠があります。

 

それは、
その心を幸せにするために、
何かで埋め合わせしようとしてしまいます。

 

この心を
「幸せで満たしたくなる」ことと
「埋め合わせようとする」ことでは、
大きな違いがあるのです。

 

シンプルに言うと、
「幸せで満たしたくなる」ことは、
ポジティブなプラスのエネルギーが働きます。

 

その逆に「埋め合わせようとする」ことは、
ネガティブなマイナスのエネルギーが働くのです。

 

もし「埋め合わせようとする」ことが心の動機の場合、
何かほしがっていると、
そのことしか見えなくなってしまいます。

 

そんな時、
じっくり自分の心を覗いて見てみると、
自分には何か欠けていると思い込んでいる自分がいます。

 

そんな時私たちは、
ある特定の形でしか満たすことができないと考えてしまい、
それは物であったり、
自分の都合のいい形での安らぎであったりします。

 

そうしていると、
知らず知らずのうちに自分のエゴからの欲求は、
自分の都合のいいような答えや結果に限定し、
満ち足りることを制限してしまい、
埋め合わせようとするために行動してしまうのです。

 

人が「幸せで満たしたくなる」とき、
そこにはワクワクするような創造的な活動や企画、アイデアがあります。
それを考えるだけで、楽しくなってきたりします。

 

そんなとき、
自分の心を覗いて見ると、
人に対する愛という温かい気持ちから
創造性が湧き上がってきています。

 

そこには、
自分の考えを限定するものはなく、
より広がった視点で状況を見ている自分がいます。
それは、楽しい人と食事をすることかもしれません。
気晴らしに旅行へ行くことかもしれません。

 

そこには、
人とのつながりや触れ合い、
楽しいことや嬉しいことという
心温かくなるようなものごとがそこにあるのです。

 

物で自分の心を満たしても、
それは一時的なものでしかなく、
時間が経つとまた心を満たしたくなります。
自分の都合のいい形での安らぎも、
それが得られなくなったり、
時間が経つとまた欲しくなってしまいます。

 

そして「埋め合わせようとする」度合いが多くなればなるほど、
物だと衝動買いをしたり、
人からの安らぎだとちょうだいちょうだいと強く要求しすぎて
人間関係を壊しかねない状態になってしまいます。

 

私たちは、
ワクワクする創造性からの
楽しさや嬉しさ喜びという心温かい気持ちを味わい感じるとき、

 

「ありがとう!」

 

という感謝の念が自然と生まれてきます。

 

そんなとき、
私たちの心は、
胸のあたりだけでなく胃やお腹のあたりまで、
何か腑に落ちたときのように、
私たちの心の欲求を心温かく満たしてくれるのです。

 

 

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