20140414やる気

 

就職しないできない若者の『未就職予備軍のレジリエンス(回復力)をどう引き出すか?』、キャリアカウンセラー・心理セラピストの観点から、子供や若者よりも、私たち大人に焦点を当てたお話です。

 

 

『Ⅸ.就職しないできない若者』
「第44話:人生の目的を生きるのが難しいわけ③」

 

 

【親が自己肯定感を高めた心の習慣を創ること。
それが子供の豊かな発想力や前向きな考える力、
主体性を育む最大の教育になり、子育ての早道。
つまるところ、『感謝を笑顔でする心』である。】

 

 

前回、ある就職活動をしている女子学生を例に出しながら、私たちは自分が体験したことを誰かと比較して、自分自身をちっぽけに扱ってしまい、自分の人生の目的を知っても、その感情を心に封印してしまうお話をしました。

 

 

今回は、心理学的になぜそうなってしまうのかについて、お話したいと思います。

 

 

 

前回の女子学生の話しには、続きがあります。

 

 

自分が体験した自己PR文を、まるで他人事のように話すことへの思い込んだ誤解を解くために、その自己PR文のルーツとも言える感動体験の出来事を思い出してもらいました。

 

 

目を輝かせながら、当時のことを思い出している女子学生に、こう続けて聞きます。

 

 

「その体験、本当にあなたの話?誰かの話しの間違いじゃないの?」

 

 

「私の体験ですよ」

 

 

「ほんとに?」

 

 

「ほんとにそうですよ」

 

 

「じゃ、忘れないように『高校最後の定期演奏会、友達のハグ号泣』と、手帳に赤で大きく書いておいて。いつでも見て思い出せるように、あなたの『強みのシンボル』として」

 

 

 

このようにアプローチするのは、あえて否定的なことを言って、自らの体験を再度、思考と心に焼き付ける(落とし込む)ためです。

 

 

なぜなら、私たちは感動体験をしたとき、そのときの嬉しかった喜びという感情を心にとめますが、そのときの出来事は案外思考(記憶)にとめないからです。

 

 

逆に恐怖体験は、そのときの感情と出来事(記憶)が同時に蘇ってきます。それは、思考と心に焼き付けられているからです。

 

 

私たちは、感動体験もそのようになればいいのですが、どうも良いことを“受け取らない”文化的な習慣があるのです。

 

 

 

例えば褒められたときに「めっそうもない」と言わないと、相手に自慢しているように思われ嫌われてしまうという、村八分の文化が残っているのです。

 

 

それは、ひかえめで謙遜という日本人の奥ゆかしさから相手を敬い謙って(へりくだって)いるのではなく、「めっそうもない」と自分自身をけなすように振る舞い、相手よりも自分がちっぽけだと、自分を否定(自己否定)しないといけないのです。

 

 

このことは、私たちが自分自身の価値を受入れることを、阻む原因にもなっているのです。

 

 

また、他人の目を気にし過ぎることで自分軸が揺れ動き、自ら目的を定め、決めることが難しくなってしまうのです。

 

 

 

生の目的を生きるのが難しいわけ」は、自分の良さや価値を受け取らない心の習慣が、

 

自分をちっぽけに扱い自己否定感の心をつくり、その不安から心を定め決めることができなくなってしまうのです。

 

 

そしてそのことから、「人生の目的を生きるのが難しいわけ」の最大の理由があるのです。

 

 

そのことについては、次回にお話をしたいと思います。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

 

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