相手との人間関係(パートナーとの関係も)の中で、 しっくり行かなかったり、うまくいっていなかったり、 時に活気のない死んでいるような冷めた状態や対立のなかで、 どうしたらいいのかわからないときも、 真実を語るとき、

 

真実は、 私たちが心の中で我慢したり、 もうあきらめてしまったと思うような関係に再び光を当て、 私たちを前に進めてくれます。

 

 

「真実」とは、 与える(伝えると言った方が分かりやすい?)ことが 形になって現れたものなのです。

 

それは、 感情を伝えると言うものではなく、 自分の心に素直になって確かめるように 心静かに語っていくようなものです。

 

 

でも、私たちは、この真実を語るのが、実は怖いのです。

 

なぜ怖いかというと、 真実を語るということは、とても勇気がいるからです。

 

そして、 勇気を振り絞って語ったときに、 その言葉が相手の人を傷つけてしまうのではないかと思ったり、 それは真実のようで自分のわがままな言い分(言い訳) のような気がするからです。

 

 

でもこれは幻想です! 真実は、必ず相手の心の響きます!

 

そしてそこに互いの誤解が解けて、 今まで以上の親密な関係をもたらすことができるのです。

 

それが、真実の効力です。

 

 

私たちはとかく、 いい人間関係を築いていたと思っていても、 よく考えてみると表面的な関係だったりします。

 

仕事などでの利害関係があると、 余計に人間関係を難しくさせ、 いい人間関係を作りづらくさせているのかもしれません。

 

 

「腹を割って」という言葉がありますが、 それはまさしく何の隠し事もなくありのままの真実を 語り合うということだと思います。

 

その「腹を割って」真実を語り合うとき、 例え互いがいがみ合っていても、 真実は互いの滞っていた問題を癒し、 より深い人間関係を創り出すことができるのです。

 

昨日まで敵同士が、 今までにはありえないような 強い絆で結ばれている感じがするのは、 この癒しが互いの中で起こったからです。

 

お酒を酌み交わすのも、 ある意味その場で真実を語っているのかもしれません。 組織やチームなどでは、 お酒を酌み交わした後、 互いの距離が以前よりも近くに感じたことが 一度や二度あるのではないでしょうか。

 

 

私たちは、多く上手に真実を隠します。

 

相手から嫌われたくないため・・・です。

 

でもよく考えてみると、 人はそれぞれ違った環境で生きてきて、 人それぞれ価値観を持って生きています。

 

だから 互いの価値観や今まで生きてきたやり方(判断=観念)が、 出てきて当然であり特に一緒に前に進むときに それらが出てきて当たり前なのです。

 

そこで我慢をしたり、 争いを避け意見を譲ったり、 言いなりになったりすることで、 真実を心に引きこもらせるのかもしれません。

 

そんなときにどれだけ お互いが向き合い、真実を語れるか、 真実を語れる状況が互いにあるか、 勇気、決断ができるか・・・のような気がします。

 

 

 

私たちが、口にしていない真実は何でしょうか。

 

 

パートナーや両親、だれかに対して 口に出さずに抑えている真実とは何なのでしょうか。

 

 

今、その真実を口に出して伝えることが重要かもしれません。

 

なぜなら、それが、私たちの心を自由にし、前に進めてくれるからです。

 

 

ただし、相手に一気にぶちまけるのはやめましょう。

 

そうすることは、 もっと深いところにある感情について 真実を語っていないということですから・・・。

 

 

真実は、自分の心に確かめるように静かに語り掛けるものだからです。

 

 

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