“心の底から自分らしく生きるための”

『ありがとうの達人のなり方』 (ありがとうの効果と秘訣)

 

 

 

前回、大きな「ありがとう」の気づきとして、
太陽を見たり、雑草の小さな花を見て「ありがとう」が
胃の辺りから込み上げてきたお話をしました。

 

 

当時のことを思い出していますと、
それまでに小さな「ありがとう」の気づきを
たくさん日々の中でしていたように思います。

 

 

それは、信号の青が続いて「ラッキー」や、
電車を待たずに乗れて「ラッキー」などから はじまったように思います。

 

 

その「ラッキー」が、「ありがとう」に 変わっていった記憶があります。

 

 

そして、無意識に「ありがとう」に反応する自分がいて、
知らず知らずのうちに「ありがとう」の意識が私の中で、
増えていったのだと思います。

 

 

その中でも、私はある時、
ちょうど車の信号待ちのために 止まった時に、
ふと横を見ると神社があったのです。

 

 

普段からそこをよく通り、そこの神社の存在もよく知って いて
何気ない日常の背景にしか過ぎなかったのですが、
その日に限ってなにか気になりました。

 

 

それからそこを通る度に気になりだして、
ついにその神社はなんの神様を祭っているのか気になり、
車を止めて境内に入っていったのです。

 

 

まあ誰もいない境内ですし、それにこのような場所に来ると、
なぜか神妙な気持ちになり、なにかしら拝んだと思います。

 

 

それから数日経って、知り合いの美容院のおばちゃんがいて、
その人はとても信心深い人で、そんな話をしていると、
ご利益のあるお不動様があるから拝みに行きと言われ、
その場所が、なんとその神社のすぐ近所だったのです。

 

 

ここまで来ると、なにかこの状況を無下にできない
自分がいて そのお不動様にお参りにいきました。

 

 

特になにがあったわけでもなく、なにかを願掛けする わけでもなく、
ただ事故を起こさず「ありがとう」のような ことを言っていたと思います。

 

 

それから、なぜか度々そのお不動様ところに行くようになり、
そして、たぶん「感謝」の言葉を口にしていたと思います。

 

 

今思い起こしてみると、日々のストレスに追われた 毎日の中で、
唯一心に向き合える神聖な時間だったのかも しれません。

 

 

ひょっとしたら、その時間が、現実の中で唯一素の
自分という存在を無意識に感じれたのかもしれません。

 

 

もっと深く言えば、自分自身が生きていることを
実感できた瞬間だったのかもしれません。

 

 

大きな気づきがあるまでは、ただなんとなく、
そんな感じで「ありがとう」の効果なんて知るわけもなく、
そんな日々を過ごしていたのでした。

 

 

私のありがとう体験談③につづく

 

 

「ありがとうの達人のなり方」(やり方) はこちら

 

 

 

********お知らせです********

 

 「ありがとうの秘訣」シリーズのセミナー
3月の日程をアップしました。

 

 詳しいことは、下記をクリックしてください。

top_bg

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です