『ありがとうの効果と秘訣』 (ありがとうの達人のなり方)

 

 

 

当時「ありがとう」を毎日習慣化していくと、90日の間で仕事、
パートナーと様々な幸運が起こりました。
それ以後も、日々「ありがとう」と言うこと、思うこと、感じることが増え、
生きることが楽しいと実感していました。

 

 

それから、2年後の話になるのですが、小さい頃からずっとあまり仲が
よくなかった母とのことについて、「ありがとう」の効果の体験談を
お話したいと思います。

 

 

 

2001年の5月だったと思いますが、母が急性心筋梗塞で
病院へ運ばれました。なんとか手術は成功し、元気を取り戻した
6日後に、血栓が右脳に飛んで脳梗塞になり、左半身麻痺の寝た
きり状態になりました。

 

 

言語をつかさどる左脳は正常だったので、母の痛みや苦痛は、
言葉として家族である私や父に向けられました。

 

 

病室に入ると、母の苦痛からの言葉やその姿を見ていると、
どうすることもできない無力さに、たちまち気持ちがめいって
しまいます。

 

 

そして、母が言った下の世話をされることへの「屈辱や」の
苦悶の言葉は、私の心を玉砕するぐらいの強烈な言葉だったことを
覚えています。

 

 

さらに母は生きる気力を失い、リハビリも痛みで思うようにいかず、
食事のときに座らされる以外は、寝たきり状態になっていきました。

 

 

そんな母に何とかしたい父や私の言葉は、母の苦しみにどんな言葉を
掛けていいのかわからない、ただただ無力さだけが日々つのっていき
ました。

 

 

 

父は自営業をしていたこともあり、毎日欠かさず見舞いに行き、
そして週末は私が見舞いにいくことが日課になりました。

 

 

こんな状態が数ヶ月も続くと、病院とはいえ父の介護疲れが
見えてきました。

 

 

私も仕事から帰って来て、まず父から母との愚痴を聞かされる
日々に疲労感を覚えるようになっていました。

 

 

さらに父から母が、「あいつは薄情や。私がこんな苦しんでるのにも
見舞いにもこない」と、私が週末にしか行けないのがわかっていても、
母の甘えからの言葉だとわかっていても、この言葉は私の心に重くの
しかかりました。

 

 

そんな状態が積もり積もって来ると、今度は私が週末父に母との
愚痴を言う番に変わっていきました。

 

 

 

そんな中、母の転院先が私の職場から車で通る通勤途上になり、
電車通勤から車通勤に切り替えて、平日の数日父と交代しながら
行くようになりました。

 

 

私は、面会時間も遅い時間になることが多く、母は決まって
「遅かったな!」と第一声を発しました。

 

 

この私の仕事帰りの面会は、さらに悪循環をもたらしました。
私の仕事の疲れからか、母とケンカして帰ることが多くなったのです。

 

 

さらにそれは、帰ってから愚痴を言う私の言葉が、父への精神的負担に
なっていることに気づき、それは同時に、愚痴を吐けない私が自分で
抱え込むことになっていったのでした。

 

 

つづく。
次回は、そんな情況から「介護疲れを打破した」を
お話したいと思います。

 

最後までお読み頂きありがとうございます。

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です