『§まっすぐに生きるのが一番』
「第61話:人は自らの学びのために家族を選んで生まれてくる?③」

 

 

哲也が意図しないまま「殺し文句」を言った瞬間から、哲也と優花はお互いを認め合った唯一の存在として、恋人同士の関係になった二人の物語。

 

 

哲也はおばあちゃんから、『人は自らの学びのために家族を選んで生まれてくる』実体験の話を聞いていた。

 

 

哲也にとっても衝撃的な不思議な話だった。

 

 

おばあちゃんは続けて話をした。

 

 

「私は話を言い終えスローモーションだった意識が普通に戻って彼女を見ると、彼女は鼻水を垂らしながら号泣していて。

 

 

しばらくその光景を眺めていると、彼女は車に備え付けてあったテッシュで鼻をかみ、『あ~すっきりした!!』と言って笑った。

 

 

私はまだ今までの余韻を引きずっていたのか笑えなかった。

 

 

そして、私がはじめに彼女に声を掛けたのが、『もしかして霊感強い?』となんの根拠もなく口から言葉がでて、彼女は『うん』と笑った。

 

 

彼女はこんな話もしてくれた。

 

 

何度も死のうと思ったと。

 

 

あるとき団地の5階から飛び降りて死のうと思い、そこに住む子供が生まれたばかりの友達の家に遊びに行き、友達がトイレに行った隙を見は計らってと。

 

 

たぶん彼女は自分の心の中にある赤ん坊に会いに行くかのように、そしてまた自分がおかした罪を再認識し、自分が死罪に価する人間であることを確かめに行ったんだね。

 

 

そして、時は悪戯にして最高のタイミングを与えるのか、友達が赤ちゃんに必要なものが切れてなかったようだったので、下のコンビニまで買いに行くので赤ちゃんを見ていてほしいと彼女に頼んで出て行った。

 

 

彼女にとっては最大のチャンスが訪れ、赤ちゃんの側に近づいていった。

 

 

赤ちゃんの顔みながら自分がしたことを謝罪するかのように今生の別れをし、時計をチラッとみて窓の方へ歩いて行った。

 

 

すると今まですこやかに眠っていた赤ちゃんが急に泣きだした。それが異常なほどの泣き声で泣くので彼女は躊躇し、やむにやまれず赤ちゃんの方へ戻らざるをえなくなった。

 

 

彼女は泣き止ませようと声を掛けたりしていると、そこへ友達がコンビニから戻って来た。

 

 

彼女からするとその赤ちゃんをあやしていた時間はものの数分だったのだが、時計の針はチラッと時計を見てからすでに20分が過ぎていた。

 

 

今までにも死のうとすると、そんな引き止められるような出来事が重なったと。

 

 

このとき彼女は、もう死ぬこともゆるされないのかと思ったと。

 

 

私は彼女に、周りに同じような人(中絶をして苦しんでいる人)がいるのと聞くと、『うん』と答えてくれた。

 

 

私は自分が誰かに言わされて彼女に話した、あの言葉どおりの答えが返ってきたことに驚いた。

 

 

そして、何の根拠もなく私は彼女にこの6日間の間にいいことがあるよと、それは彼氏ができるとかいいことがあるよと言っていて。言わされたかもしれない。

 

 

それから6日後に彼女から電話があった。その電話口からは嬉しそうな声で、彼氏ができた。その縁で夜のお店も高級会員制のグラブで働くことになったと。

 

 

私が言った通りになったと。自分でも驚きしかなかった。

 

 

それを機に彼女との連絡もなく今まで会っていないけども、彼女も今はもう40歳。今もどこかで幸せに暮らしていることを心から願っている」

 

 

 

哲也はリビングで聞いているこの部屋が、どこか神聖な時空にいるような感覚がした。

 

 

おばあちゃんは遥か遠くにいるその女性を思ってか、部屋の一点を見つめていた。

 

 

そして、また静かにおばあちゃんは話し出した。

 

 

「哲也さん、私ね、この体験をしたとき、どんな人も幸せになれると思った。ものの見方や考え方が変われば、どんな人も変われると。

 

 

人は自ら家族を選んで生まれてくるなんて、そんなこと考えたこともなかったし、現実にそんな話をすると笑われるだけかもしれないけど、彼女はそう思うことによって救われた。

 

 

それからそう思って家族のことを見ると、何か腑に落ちることが多くなった。

 

 

自分がこの家族を選んで生まれて来たと考えた時、この家族に私がやりにきたことを考えるようになった。

 

 

考えることによって、今までの様々な出来事の中に、学びがあることに気づいた。

 

 

家族一人ひとりを理解するようになり、いろんなわだかまりが解けっていった。

 

 

そうるすと、急に視界が開けたような感覚になって、すべてが愛すべき存在に思えてね。

 

 

その感覚は人を判断することなく、ありのままを受け入れるようになった。その人自身を理解しようと思うようになった。

 

 

どんな人を見ても、その人の魅力や価値を探し、それにつながろうとするようになってね。

 

 

そのせいか周りがよく見えるようになって、そうすると人生動じることがなくなったようで、人生どんなことにも受入られる心の強さみたいな自信のようなものがあって。

 

 

それであるとき思った。

 

 

心のあり方が変われば、すべての人の生き方は創れるんだと。

 

 

状況は問題ではなく、心のあり方が問題であって、心のあり方が人生を決めると

 

 

 

哲也はおばあちゃんの話を聞き、今までのスーパーおばあちゃんの振る舞いを理解できたような気がした。

 

 

ありのままのすべてを受入れるというのは、そう簡単なことではないかもしれない。

 

 

けれども、人を理解しようとすることは大切なことだし、そのためにもその人の価値を見るようとすることは、自分にもできるのではないかと思った。

 

 

そしておばあちゃんが言った『すべてが愛すべき存在』とは、いったいどんな感覚なのだろうかと思ったのだった。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。
 

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