『§まっすぐに生きるのが一番』
「第77話:自分の人生を生きることに必要なこと」

 

 

哲也が意図しないまま「殺し文句」を言った瞬間から、哲也と優花はお互いを認め合った唯一の存在として、恋人同士の関係になった二人の物語。

 

 

前回、“自分らしい生き方をつくる”問い掛けがあるとすれば、自分の中に潜んでいる自分を導く希望や夢に働きかけてくことで、引き寄せの法則のような形でやってくることかもしれないと。

 

 

そう考えると“自分らしくなる必要も自分らしく生きる必要もなく”答えはシンプルで、
“ただ自分の人生を生きるだけ”のことなのかもしれないと。

 

 

今回は、そんな「自分の人生を生きることに必要なこと」についてのお話です。

 

 

 

「人がなにか活動的になる原動力のようなものってなんなのかな。やっぱりなにかしらの欲求を満たすことかな」

 

 

「さあ、“ありがとう”という感謝じゃない」

 

 

「“感謝”?」

 

 

「えっ、私今なにか言った?」

 

 

「“ありがとう”の感謝だって」

 

 

「感謝?感謝がどうしたの?」

 

 

「今言ったこと覚えてないの?」

 

 

「ごめん、スマホに夢中になってて」

 

 

「人がなにか活動的になる原動力のようなものがあるとしたら、優花が“ありがとう”の感謝だって」

 

 

「そうなの。でもそれって的を得てるかも。

 

 

“ありがとう”って素敵な言葉じゃない。“ありがとう”って言われたら嬉しくなるし、なんか元気がでて頑張れる気がするしさ。

 

 

人って尊敬されたり、評価されたりする欲求があるっていうから、“ありがとう”って言われることは自尊心が満たされることだし。

 

 

そんな気持ちになったら、もっと頑張ろうーって思うし。

 

 

もっと頑張ろうーって思うと、もっとあんなことしたいな、もっとこんなことしたいなって、想像力を働かせたり、創造力豊かな発想につながっていくんじゃないかな。

 

 

だったら、人が活動的になる原動力が“ありがとう”っていう感謝でもいいんじゃないかなって思う。

 

 

でも、哲也はこう思うんでしょう。

 

 

原動力が“ありがとう”になると、人は誰かから“ありがとう”ほしさに人は行動するようになるって。

 

 

哲也が言いたいことはわかるよ。

 

 

このあたりのことを説明するってとても難しいけど、“ありがとう”が、人が動く原動力なんだけど、もっとシンプルに言うと、きっかけにすぎないと思うの。

 

 

だって、人の本心は“ありがとう”の言葉がほしいわけじゃなくて、そこにある幸せな顔や笑顔、優しさといった喜びを一緒に共有したいだけなんだと思うの。

 

 

だから、人はそのために活動的に動こうとするんだと思うの。

 

 

夫婦も家族も友達も仕事も、みんなそうだと思わない?

 

 

あんまり賢く考えすぎると感情を思考に支配されて、ものごとを複雑化してしまうよ」

 

 

よく考える癖のある哲也にとって、優花の言葉は胸に突き刺さるのだった。

 

 

 

「自分の人生を生きることに必要なこと」があるとすれば、

 

 

今の自分にできる小さな幸せ。小さな笑顔。小さな優しさ。
小さな喜びを一緒に共有しようとする活動的な自分。

 

 

そうすれば、つながりや絆の輪が広がっていくのだから。

 

 

たとえ相手に伝わらなくったってもいい。

 

 

それよりも、
誰かの“小さな幸せ。小さな笑顔。小さな優しさ。”を
見過ごさないようにすることの方が大事なのだから。

 

 

その小さなことに
いつも“ありがとう”と言える自分でいたいものだ。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

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