8月22日 『婚活についての手記』

「幸せをつかむ婚活:真実を知る心」

 

今回は、『七色の声をもつセミ』という寓話的な物語を通して、「真実を知る心」についてお話したいと思います。

 

 

時は1590年ごろ。世は豊臣政権による天下統一を果たした平和な時代のある城下のできごとである。

 

「さあ、みなさん寄ってらっしゃい見てらっしゃい。このお守りを手に握るとセミの鳴き声を聞くだけで、なんと不思議と今のあなたの心がわかるという不思議な代物。

 

そこのちょっと綺麗なお嬢さん。そうそうあんたのことだよ。おおよく見るとちょっとじゃなく、どえりゃあべっぴんさんじゃあ。おっといけねえ、ついつい三河弁がでてしまって。お嬢さんがものすごく美しくて綺麗ってことですよ!

 

ためしにだまされたと思ってこのお守りを手に、セミの声聞いてみてくださいな。

どうです。今のお嬢さんの嬉しい気持ちがさ、大きく広がるような感じがしませんか?」

「ええ、なんか嬉しさが増していく感じです」

 

「これは嬉しいゼミです。今嬉しい喜びの気持ちを教えてくれているんです!じゃあ~ためしに次はと、そこの殿方といっしょのどえりゃあかわいいお嬢さん、ぜひ聞いてみてくださいな。どんな感じがします?」

「う~ん、なんか、優しい気持ちがふわ~っと大きくなる感じです」

「おお、それは幸せゼミですね」

「そう、そうです!なんか幸せがふわ~と広がっていく感じで」

 

物珍しさに集まった観衆から、「おお~」というどよめきの歓声が上がった。

 

「さあさあ、この他にもたくさん今のあなたの心を教えてくれるんだが、それはこのお守りを買って帰ってからのお楽しみだあ。」

 

すると、たくさんの見ていた観衆が、一斉にわれ先にと買い求めたのだった。

 

 

数日後、このお守りは売れに売れ、城下ではそのお守りの話でもち切りだった。

 

「おみよちゃん、今日はなにゼミだった?」

「それがね、ここんとこの暑さで寝れなくてね。だからイライラゼミだったわ」

「うちもイライラゼミだったわ。昨日は大好物の桃を食べたからうきうきゼミだったのに」

「おたかちゃん、なんかこのお守り不思議よね。セミの声を聞くと、今の私の心をぴったりと当てるんだもん」

 

「ほんとすごいよね。あっ、さよちゃん。今日も忙しそうね。ほんと毎日よくお家のためによく尽くすわよね。さよちゃんは、今日はなにゼミだった?」

「う~ん、毎日一生懸命ゼミかな?」

「そんなセミはいないわよ。あっ、それってひょっとして、聞いたことあるわ。とってもめずらしいつくづくほうしじゃない!そうよ、さよちゃんは、ほんとうにお家のために尽くすからね!」

「私もなんかそんなこと聞いたことがある!」

「はぁ、つくづく奉仕ね…。そうかもね、気づかなかったわ(苦笑)」

 

 

一ヶ月も過ぎた頃、セミの鳴き声も聞かなくなってくると、この熱狂的な人気も下火へとなってきて、巷ではこのことで意見が分かれ出していた。

 

ある人びとは、「お守りを手に握ってセミの声を聞くと、今の自分の気持ちがわかるのではなくて、今の自分の気持ちがセミの声を聞くと、気持ちがより刺激されて自分にそう思うだけのこと」だと。

 

多くの人びとは、「この有り難いお守りが、セミの鳴き声を通して、今の自分の気持ちを教えてくれるのだ」と信じていた。その中には、半信半疑の人たちもいたが、実際は多くの人のなかに埋もれていた。

 

 

 

約400年経った今の私たちには、この心の理屈を理解することは容易だと思います。

では、この真実とはいったいなんなのでしょうか。

この二つの意見は、その人が信じているという点では事実です。

 

しかし、一見前者の方が真実のように聞こえるかもしれませんが、本当の真実があるとすれば、自分の今の心の状態を気づき、そこに『感謝すること』だと思うのです。

 

それは、腹が立ったりイライラする感情でも、「あっ、今自分は腹が立っているんだ。イライラしているんだ」と気づいたことに、感謝することなのです。

 

なぜなら、感謝する気持ちが、そこに自分がどう心の選択をするか自分を律する心が生まれるからです

 

『真実を知る心』とは、まず自分自身の素直な気持ちを認識することだと言えます。

 

古代ギリシャの哲学者ソクラテスも『汝自身を知れ、汝自身について考えよ』と言っています。

 

これからの時代は、特に自分が本当に求めるものを探し当てるには、ますます自分自身を認識するということが大切になってきていると思います。

 

なぜなら、自分を知ると、そこに「真実を知る心を育む知識という価値観が芽生える」からです。それは、情報過多といわれているこの時代に、正しく情報を取捨選択できる価値判断にもつながるからなのです。

 

 

最後に、この物語には続きがありました。

 

城下にも落ち着きを取り戻した頃、ある高僧がこのお守りを手に取ってみていた。そして、おもむろにお守りの中を開けてみると、そこには朱で『真心』と書いてあった。真心とは真実の心。そして、その高僧は目を見開いて言った。

 

『人びとに真の心と向きあわせたあの男。いったい何ものなのだ』と。

 

次回8月25日(日)は、『婚活についての手記』「幸せをつかむ婚活のまとめ:自分らしい婚活をⅠ」をお話します。

 

 

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