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◆心の底から自分らしく生きるメソッド◆

「光曉和尚の愛と心のセラピー物語」

~私、自分らしく人生を生きます~

 

 

※はじめてこられた方は、

この物語の『登場人物』・『あらすじ』を 先にお読みいただければ幸いです。

 

 

§ 私たちを苦しめる罠

 

前回、和尚は「私たちを苦しめる原因」は、心の奥底で、幸せになることが怖いと思っていると話した。

そして、そう思わせるネガティブな観念があるからと話しをした。そして、観念という私たちを苦しめる罠についてやはり話しておいた方がいいと思ったのだった。

 

 

「さて、私たちを苦しめる『観念』について、お話しておいた方がいいと思うので、お話しますが、今まで話していることは、情報量がたくさんあるので、全部覚えることはできないと思います。

でも、これから生きていくと、なにかに困ったり思い悩むことも出てくると思います。そのときにふとなにかに反応して、気づきをもたらしてくれるかもしれないので、知識として知っておいてもらえればと思います。

 

まず、『観念』という言葉の意味は、ものごとに対して思った考えのことです。

 

例えば『感謝することはいいことだ』と、その言葉に対する思った考え、つまり『観念』を持っていたとします。

 

その『感謝することはいいことだ』の観念を持っていて、その観念に反応することがあると、私たちは感情が出てきますよね。

そして、その感情を思考という言語『ありがとう』とか『嬉しい』『おかげさまで』に変換するのです。

 

その『観念』『感情』『思考(言語)』の三つが起こるから、『感謝をすることはいいことだ』という現実を創るのです。

 

つまり、その三つが起こると、『ありがとう』とか『嬉しい』と、笑顔になったり、お辞儀をしたり、手を合せたりといった言動振る舞いをするのです。

 

これが、『観念』が現実を創る心のメカニズムです。

 

 

こうして私たちは、良い『観念』も悪い『観念』も学習しながら、自分に信じたり、世の中はこうだと思い込まされたり信じ込まされたりしてきたわけです。

 

私たちは、この『観念』を生きてきた分だけたくさん持っていて、その観念が現実を創り、今を生きているのです。

 

でね、その『観念』には、生きる上で役に立つものもあれば、役に立たないものもあるわけです。

生きる上で役に立たない『観念』があっても、直接強く私たちに利害をおよばさなければ苦しまないのですが、そうでないと信じ込んだりしてしまったネガティブな『観念』があるときに、私たちはどうやら苦しむのです。瑞枝さん、ここまでいいですか」

 

「わかりますよ。もーあほ(バカ)扱いしないでくださいよ」

「瑞枝さん、知っていましたか。自分のことを頭が悪いと言っていましたが、頭が悪いわけではないんですよ」

「私ほんとに頭悪いですよ」

「ここで気づいてくださいね。瑞枝さんは頭が悪いのではなく、すべてのはじめにおいて、『疑い』からものごとを捉える習慣が身についているからです。知っていましたか。

 

だから、ものごと、特に知識なんかは完全な形で理解して受け止められていないから、ものごとを曖昧なまま理解したと思い込んでしまうのです。

そして、瑞枝さんの興味があることは、その『疑い』の疑問をすぐ解決したくなり、その思った気持ちをすぐに口に出しますよね。

 

わからないことを質問することは、とてもいいことです。

でも、一旦自分に理解して受け止めて落とし込んでから、質問をした方がより整理されて問題点が明確になっていいことが多いんですがね。そうじゃないと、『どして坊や』になってしまいますからね」

 

「どういう意味ですか」

「どういう意味だと思いますか。それは疑問を持つと『どうして、なんで』『どうして、何で』と、そしてまた『どうして、なんで』と聞くからです」

 

「私、それしてました。昔好きな男の子に『なんでなんでってばっかり聞くな。うっとおしい(うざい・面倒)』って言われて。それから好きな人にはなにも言えなくて。他の人にもいいずらくなって」

「そういうことがあったんですか。それでですか。『多分あの人はわかっていないはずなのに、相手に調子よくあわせて知ったかぶりをしている』と、そんな目で人を見てしまいがちになったんですかね」

 

「そうだと思います」

「人は、多かれ少なかれそのようなことを思っていますから、そのあたりもあとの『メソッド』の実習で見ていきましょう。今は、そんな自分がいたことを、今理解しているだけでいいですから」

和尚は、瑞枝が好きな人に言われてなにも言えなくなったと言っていたが、そのルーツは、もっと昔に大好きだった両親に言われたのだと思っていた。

 

 

「さて、話を戻しますと、直接強く私たちに利害のあるネガティブな『観念』があるときに、私たちはどうやら苦しむとうお話をしました。この前の『我慢や禁止』のところで話した復習も兼ねて、もう少しお話しましょう。

 

私たちは、自分に直接関係のある出来事があって、頭では理解できないような苦しみを感じると、心が不安な状態になりますよね。それを長く感じるのは辛いことですよね。

それで、私たちはその心の中で揺らいでいる不安定な心の状態を安定させるために、この前はまるで釘を打ちつけるかのようにという例えを使いましたね。

 

もっとわかりやすい例えでいうと、苦しいという傷に次のような言葉という絆創膏をいくつも貼って苦しい不安な感情を固定させるのです。

 

『私は苦しんで当然だ。なぜなら○○だから』

『私は苦しむべきなんだ。なぜなら○○だから』

『私は苦しむに値するんだ。なぜなら○○だから』と。

 

本来は、『苦しいはただ苦しいだけ』なのです。

でもこの苦しいという傷に例えば『罪悪感』という絆創膏をいくつも貼ることによって、その『苦しい』気持ちに自分が納得する意味づけをするのです。

『〇〇だから、私は苦しいんだ』と、そうやって思い込むことによって、不安定になっている心を安定させるのです。

 

これが、私たちを苦しめるトリック(罠)なのです

 

和尚は、前回、私たちを苦しめるのは、『幸せになることが怖い』からだと言ったことを、もう少し掘り下げて話しておいた方がいいと思ったのだった。

 

つづく

次回明日12月13日(金)は、

メソッド実践編:「幸せになることが怖い」をお話します。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。 心より感謝いたします☆

※この物語は、実話にもとづいたフィクションであり、登場する人物など、実在のものとはいっさい関係がありません。

参考図書:「未来は、えらべる!」バシャール・本田 健著(VOICE新書)

 

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