第三話「話の罠」

 

 
 
和尚は、彼女の話を聞いているうちに、自分が彼女から試されていることに気づいた。

 

 
和尚は、思った。
 
『彼女は、まるで私に怒らせるように話を仕向けている。それもわざとではなくて無意識に、彼女がいつも人にしてきたように。

 

 
もしここで、私が、彼女の話を聞いてムッとして怒り出したなら、彼女はきっとこう思うのだろう。
 
“ほらやっぱり、どうせ私の話なんか聞く気もなかったし、私のためと言っておきながら、私の話なんか本気で聞こうと思ってないやん。結局は自分の都合を押し付けるだけやん。ただの良い人ぶってるだけやん。”』と。

 

 
和尚は、
『これをされたら多くの人が、この罠に嵌って怒り出すだろう。陽子の夫もこの罠に嵌ったから、お手上げ状態になってしまったのだろう。』と、理解した。
 
和尚は、彼女の持っているまだ見ぬ心の痛みを強く感じた。

 

 
さらに和尚は思った。
『彼女は、もう誰も信じられないんだな。自分自身さえも。』

 

 
和尚はある話を思い出した。それは、野良犬の話だった。
 
 
『野良犬がお腹を空かしてやせ細っているのを見た婦人が、野良犬に食べ物を上げるのだが、野良犬はお腹を空かしているにも関わらず、いっこうにその食べ物に近づいて来ない。その婦人が優しく声を掛けても、いっこうに近づいて来ない。

 

 
婦人がそんな状況を見てかわいそうと思い、食べ物を持って近づこうとするとその野良犬は距離を置くように慌てて後ろに下がって行く。

 

 
仕方なく婦人はその場から遠ざかって物陰から見ていても、その野良犬はすぐには近づかずに何度も何度も警戒するように、食べ物の辺りを旋回する。

 

 
そしてようやく食べ物を口にしても、その場では食べずに自分が安全と思える場所まで咥えて行って、そこで初めて口にする。』

 

 
和尚はその話を思い出しながら、その心理を考えていた。
 
 
『その野良犬は、自分が野良犬ということで、人から邪魔者扱いされたり何らかの攻撃を加えられたりして人間に裏切られて来たのだろう。そうして、人間を信じなくなった。

 

 
彼女も、何らかの出来事で人を信じられなくなったのかもしれない。そして、人を信じるためには、人に何度も何度も試してやっと自分に信じてもいい許可が出せるのだろう。

 

 
しかし、普通はそんなことがあってもある程度まで試すと、ある一定の自分の安全な領域の中で相手を信じてもいい許可を出すはずなのに、彼女の言動はその許可を出すにはあらず、相手を怒らせるようにわざと仕向けているようにしか見えない。』と、和尚には思えたのだった。

 

 
そんなことを思っていた和尚は、彼女の会話が途切れた時、気がつくと次のように彼女に言っていた。
「本当のこと話してないだろう。」と。

 

つづく

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です