20140414やる気

 

親が自己肯定感を高めた心の習慣を創ること。それが子供の豊かな発想力や前向きな考える力、主体性を育む最大の教育になり、子育ての早道。

 

つまるところ、『感謝を笑顔でする心』を親である私たち大人が育むことである。

 

 

『Ⅸ.就職しないできない若者』
「第70話:有り難味が希薄していく私たちの結末①」

 

 

就職しないできない若者の『未就職予備軍のレジリエンス(回復力)をどう引き出すか?』、キャリアカウンセラー・心理セラピストの観点から、子供や若者よりも、私たち大人に焦点を当てたお話です。

 

 

前回、五感の能力の低下は、物質的な豊かさの中で、思慮深くせずともらくで簡単なことを選択しがちになり、

 

その結果、便利になったものがあるのが“当たり前”になり、“当たり前”が『有り難味』の希薄化にもつながっていく。

 

 

これは、子供や若者だけではなく、私たち大人の問題でもあるというお話をしました。

 

 

今回は、「有り難味が希薄していく、子供・若者・私たちの結末」についてお話したいと思います。

 

 

 

私たちに暮らしの中で、五感を使うことが低下していくと、深く考えたり、想像力を働かせたり、判断することをしたくなくなってきます。

 

 

すると、人というのは、めんどうなことをしたくなくなってくるものです。

 

 

また、現代というのは物質的な豊かさの中で、らくで便利で簡単なことがたくさんあります。

 

 

それが悪いわけではないのは言うまでもないのですが、らくで便利で簡単なことが、あたかも“当たり前”の考えになってしまうことです。

 

 

それがあたかも自分の価値観(価値判断する基準)と思ってしまうと、そこにあるのは、自分にとっての損得や都合という自分本位の考えになってしまいます。

 

 

自分本位の考えになると、人は我がままになってしまいます。

 

 

我がままになってしまうと、他人のことを考えたり、相手のことを思う行動や振る舞いができなくなってしまいます。

 

 

すると、人との関わりが上手くいかなくなり、偏った人間関係を持ち、煩わしいことから避けるように、人と関わること、挨拶すらめんどうになり、最後は人との関係を遮断するようになるのです。

 

 

 

極論のような話に聞こえるかもしれませんが、10年前、20年前から今を見てみると、身近で、ニュースで見たり聞いたりと、なにかしら心当たりがあるのではないでしょうか。

 

 

あると言うことは、それだけ物質的な豊かさの恩恵の中で、五感の能力の低下や“当たり前”の中で、「有り難味」を忘れた社会を生きているのです。

 

 

つまり、人として大切な価値観を育むよりも、考える力や想像する力、判断する力、主体的にする力が低下するような物質的価値観に、どっぷり浸って私たちは生きているのです。

 

 

それは言うまでもなく、心のつながりあう利他的な生き方ではなく、直接迷惑さえ掛けていなければなんでも有りというような、心の分離を引き起こす利己的な生き方、それがますます自分にとって損か得か、都合が良いか悪いかを基準にした社会をつくり上げるのです。

 

 

次回、有り難味が希薄していく私たちの結末②につづく。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

 

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