『§まっすぐに生きるのが一番』
「第36話:第六感と慈しみの愛」

 

 

哲也が意図しないまま「殺し文句」を言った瞬間から、哲也と優花はお互いを認め合った唯一の存在として、恋人同士の関係になった二人の物語。

 

 

前回不安に駆られていた哲也は、職場の後輩の女性が日々の中で振る舞ってくれていた優しい思いを思い出しながら、横恋慕な気持ちを抱いていた。

 

 

そんなとき、哲也の携帯電話が鳴り、得てしてそれは恋人の優花からだった。

 

 

そして、優花は哲也とのちょっとした会話から異変を察知し、

 

「会えなくて寂しい思いさせてたから、浮気でもしちゃった?」と直球を投げかけ、哲也は床に正座したままお尻をぴくんと浮かせたのだった。

 

 

哲也は優花のその言葉を聞いて、即座に「してない」と答えながらも、『この妄想したことが浮気?』と冷静に自分を分析する自分がいた。

 

 

「ほんとに?それならよかった。私のわがままで哲也に寂しい思いをさせてしまってるんじゃないかと、いつも“小鉄”を見ながら思ってて」

 

「大丈夫だよ。一人が慣れてるし」

 

 

優花はその言葉に、なにか寂しい気がした。そして心の中では『じゃ、私と会えなくても別に大丈夫なんだ!心配して損した気分!』と少し感情的になりながらも、冷静にことの状況を思い返しながら、哲也が強がっていることがわかり、“哲也らしい言い方”と微笑み、

 

「哲也は素直じゃないよね、強がっているの丸わかりだよ」

 

「えっ、そんなことないよ」

 

 

と思いながら、哲也は思わず『優花の方こそ、会いたくて会いたくて仕方なかったんじゃんいの?』といい掛け、優花から『そんなことないよ』と言われる怖さに言葉を呑み込んだ。

 

 

「またー、強がっちゃって」

 

「まあね、すべてお見通しでございます」と哲也は素直に白状した。

 

 

「ふふふ。そうそう、電話したのはね、次の日曜日哲也時間ある?おばあちゃんの友人の農家があって、そこで山の幸を取りに行って料理して食べるんだけど、よかったら哲也もどうかなって思って。と言うかおばあちゃんが是非哲也に会いたいんだって」

 

「えっ、お、おあばちゃんが?なんか怖いなー」

 

 

「大丈夫よ。いろいろ哲也のことおばあちゃんに話したりしてたから、哲也とお友達になりたいみたいだから」

 

「まあ大丈夫だけど。なんか緊張するなー」

 

「大丈夫、きっと哲也も気に入るから、大丈夫。じゃ、ちょっと朝早いんだけど、7時に哲也の家の近くのコンビニに行くからそこで待ってて。雨天決行で。じゃ、久しぶりに会えるし、楽しみにしてるね。あ、そうそう。高3の妹と愛犬の小鉄も一緒だから」

 

「うんわかった。7時にコンビニだね」

 

 

そう言って哲也は電話を切ったのだった。

 

 

哲也は優花からおばあちゃんが来てからのいろんな奇跡のような話を聞いていたので、はじめましてという感じではなかったが、ひょっとして二人の気持ちを察していて、わざと心配りをしてくれたように思った。

 

 

それよりも、自分の横恋慕な妄想に満たされているときに、優花から電話があったことにびくついた。しかもまるで自分の頭の中がわかるかのように、

 

 

『会えなくて寂しい思いさせてたから、浮気でもしちゃった?』という言葉には、何とも言えない背筋が凍るような恐怖を感じ、二人の危機と頭を過った。

 

 

その恐怖から解放されると、哲也は女性の第六感はすごいと聞いたことがあったが、自分が目の当たりにして、変な下心を持たずにもっとまっすぐに優花のことを見ようと強く思った。

 

 

で、そう思いながらも、もし将来自分が浮気をしたら、しない自信はあるけど、やっぱり『浮気でもしちゃった?』と冷静に言われるのかと思った。

 

 

哲也は優花から感情的に言われたら、自分が冷静になってなにか上手くその場を繕えるようにも思えたが、あの冷静沈着なトーンで『浮気でもしちゃった?』と聞かれたら、電話でもそうだったんだから、間違いなく顔に出るだろうし、もう『ごめん』としか言葉がでないような気がした。

 

 

そして、テーブルに座らされて、警察の取り調べ室のように詳細を明らかにするような尋問をされるんだろうなと思うと身震いをし、将来優花もなにかおばあちゃんのように、ビッグマザーになる予感がしたのだった。

 

 

得てして、やましい気持ちや下心は、遅かれ早かればれてしまうもの。

 

 

よく男性は頭で考える傾向があるので、感情に鈍感と言われる。一方女性は女性性が持つ慈しむ母性という五感で感じる感性が発達していると言われる。

 

 

だから一般的に女性の勘は鋭いと言えるのかもしれない。

 

 

それが心を寄り添う近い関係であればあるほど、たとえ言葉ではそんな素振りを見せなくても、感覚でいつも感じて見られているのかもしれない。

 

 

その根拠ではないが、先日モニタリングと言うTV番組で、長年寄り添った夫に恋人ができたら奥さんはどんな反応をするか、と言うのがあった。

 

 

夫側からすれば、男女という性の部分では冷めきっていて、日頃もあまり関心がないような素振りからすると、特に目立った反応はなく冷静なのではと言う意見だった。

 

 

しかし、実際にモニタリングが行われると、長年寄り添った奥さんは強いジェラシーを持ったのである。

 

 

なぜそうなるかと説明するのは難しいが、感性は精神性を高める。よく女性の方が男性よりも精神年齢が高いと言われたりするのも関係があるのかもしれない。

 

 

この精神性が高いと人は区別する感覚ではなく、つながっている感覚を強く持つようになる。

 

 

だから長年寄り添って来た妻が、夫のことを一見あまり男性として関心を持っていないような素振りをしていても、精神的な部分では妻にとって夫は自分の一部と言う感覚でつながっている高度な意識を潜在的に持っており、夫がそのつながりから離れようとすることに、深い慈しみの愛から離れようとすることに、寂しくなってジェラシーが湧くのかもしれない。

 

 

この深い慈しみの愛。その慈しみの愛を持っているから、多くの女性は男性よりも誰かのために無条件で献身的に尽くせるのかもしれない。

 

 

これが感覚なだけに、言葉に言い現せない理解しづらいところに、人間関係、特に男女関係に誤解を生むのかもしれない。

 

 

その誤解をつくらない術(方法)があるとすれば、それは素直さを持って謙虚な姿勢で、つねに相手に『感謝』の気持ちを、忘れないことなのかもしれない。

 

 

その気持ちが、人は『愛』と呼ぶものかもしれない。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

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