『§まっすぐに生きるのが一番』
「第46話:幸せを邪魔する誘惑の心(前半)」

 

 

哲也が意図しないまま「殺し文句」を言った瞬間から、哲也と優花はお互いを認め合った唯一の存在として、恋人同士の関係になった二人の物語。

 

 

前回哲也は、優花と一緒に公民館で講演するおばあちゃんの話に聞き入っていた。

 

 

話の中でおばあちゃんは、『肯定する』意味を知り、どんなことにも『学びや気づき』があると思える心の習慣を持つことが大事であると言っていた。

 

 

また、人はいいところ悪いところもあって一人の人間。

 

 

いいところは自分が上手く行ったことだから、人に上手く行く方法を教えることができる知恵になる。

 

 

悪いところは、同じように自分と苦しんでいる人への、明るい未来と言うあなたから人に上げることのできる人生の贈り物になる。

 

 

そうやって、人は人との関わりの中で成長し、人とのつながりの中で幸せを感じることができるのだと。

 

 

哲也はそう話の内容を理解しながら、おばあちゃんの続きの話を待ったのだった。

 

 

 

「さて、“心の習慣を持つことが大事”と言葉では簡単ですが、いざそれを自分のものにしようとすると、けっこう難しいものではないでしょうか。

 

 

そもそも“心の習慣”とは、いったいどのようなものなのでしょうか。

 

 

私は散歩を日課にしています。歳をとって来ると足腰が弱って来るもんですから、その予防のためにもしているんですがね。

 

 

今でこそ、毎日大雨でない限り散歩に出かけますが、はじめの頃はそうではありませんでした。

 

 

朝起きると、いつもすっきりした目覚めでない日もあるわけです。

 

 

そんなときは、もう少し寝ていたいと思うわけです。特に冬なんか、朝起きると寒いので、布団の中から出て、さらに着替えをすると思うと、もう少し寝ていたいと思うのです。

 

 

そしてこう思うのです。

 

 

『今日は散歩をやめて、散歩から帰って来る時間までもう少し寝よう。明日はちゃんと起きて散歩に出かけよう』と。

 

 

みなさんも、散歩に限らず、このように思ったことはありませんか。

 

 

そうなんです。

 

 

『面倒くさい』んです。

 

 

散歩をする前夜までは、健康のために頑張ろうと気持ちが入ります。

 

 

それが一日二日は勢いのまま頑張れるのですが、三日目ぐらいからこの『面倒くさい』誘惑に駆られるのです。

 

 

そして、大雨なんか降れば絶好の言い訳になるわけです。

 

 

 

ある時、『あれ、また同じことを繰り返している?』と思ったのです。

 

 

なぜ続けられる人と、そうでない人がいるのだろうかと。

 

 

そこで考えてみたんです。なぜだろうと。

 

 

そうして、二つのことを思ったのです。

 

 

一つ目は、続けられる人は、“決める力”がある人だと。

 

 

“決める力”というと、『決断力』のことですよね。

 

 

日頃から自分の人生に責任を持ち自分で決めることができる人、いろんな困難を乗り越えるために決断してきた人。

 

 

そのような強い決断する習慣が付いている人は、決めたことは最後までやり通そうとする力があると思ったのです。

 

 

『初志貫徹』という言葉がありますが、まさにそれが心の習慣としてある人です。

 

 

二つ目は、やることに対して、わくわくする目標や夢、目的がある人です。

 

 

例えば、好きなことだったら寝食も忘れて没頭できる、あれです。

 

 

私も高校生の頃好きな男子がいましてね。告白なんてできないですから、毎朝早起きしておめかしして、その男子が登校する時間の前に正門で待っていて、わくわくドキドキしたものです。

 

 

そして来ない日があったら、『風邪かな、病気なのかな』と勝手に心配なんかしたりしてね。

 

 

そこに大学生の姪がいるんですけど、高校生のときに犬を預かったんです。ある日これから私が散歩に連れて行くと言ったんですけど、『正直続くのかな?』思いました。

 

 

それが雨の日も合羽(かっぱ)を着て散歩に出かけ、帰って来るとタオルで犬の体を拭いてあげて、ブラッシングもしてあげて、それから学校に行っていたのです。

 

 

姪の心の中に、心を突き動かすようなわくわくする目標や夢、目的があったから、できたのかと思います。

 

 

そこにいるので、実際に聞いてみましょうか。

 

 

『なぜ毎日雨の日も散歩を続けられたの?』

 

 

『えっ、なんでって言われても・・・。私が散歩するって言ったから・・・』

 

 

『それだけ?』

 

 

『う~ん、おばあちゃんに約束したから』

 

 

『じゃ義務でやってたの?そのようには見えず、毎日楽しそうだったけど』

 

 

『(愛犬の)小鉄と一緒にいると楽しいから』

 

 

『小鉄が恋人や兄弟のような感じだったのかな』

 

 

『う~ん、よくわかんない』

 

 

『小鉄と一緒にいるときが、唯一自分らしく素直になれる時間だったんじゃない?よく小鉄に学校のこととか家のこととか話をしていたもんね』

 

 

いろんな動機があっていいと思います。

 

 

その動機が自分にとって役に立つものだったり、元気になるものだったら、それは立派なわくわくする目標や夢、目的だと思います。

 

 

私たちが『面倒くさい』と思うときと言うのは、“散歩をすること”に意識を集中してしまうからです。

 

 

散歩の向こう側にあるわくわくする目標や夢、目的を忘れてしまっているからです。

 

 

ここに来られているお母さん方ならわかりますよね。

 

 

自分の子供に朝食を作ってあげないとと思うと、どんなに寒くても、どんなに体調が悪くても起きて朝食を作ってあげますよね。

 

 

それが義務感からそうやっているように思えることがあっても、心の奥底では子供を愛しているから、子供が健康に育ってほしいと思っているから、できるのですよね。

 

 

ご主人にはできなくてもね。

 

 

あら余計なことを言ってしまいましたかね。

 

 

それでもできると言うことは、子供を愛すると言う強いわくわくする目標や夢、目的があるからです。

 

 

もっと言うならば、そのことに対して、たくさん想像し、その思いを膨らませられているか、ということですね」

 

 

おばあちゃんは、このあとこの“面倒くさい”の核心について話そうとしていたのだった。

 

 

後半につづく。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

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