私たちは、誰でも根源的な恐れを持っています!

 

それは、
「私のことをすべて知ったら、嫌われてしまう!」
と言うものです。

 

 
誰でも心から人に嫌われたいと思う人などいません。

 

でもこの恐れが時に恐すぎて、
自分の方からワザと人を遠ざけたり、
自分の方から遠ざかったりします。

 

 
恋愛でもこんな場面があります。

 

つきあい始めて
1ヶ月~3ヶ月ぐらいした初期の段階をすぎると、
何か居心地が悪くなってきたりします。

 

パートナーの間で何かぎこちないような関係になったり
別れたくなったりして、関係が終わってしまうことがあったりします。

 

それはなぜなのでしょう。

 

それは、
「私のことを本当に知ったら、きっと愛されるはずはない!」

 

「こんな私のことを知ったら、きっと幻滅するに違いない!」

 

という根強い恐れがあるからなのです。

 

 

 
私たちは、
好きな人の前では完璧でありたい、
と思うものです。

 

なぜなら、
誰しも好きな人からどんなときも
愛され続けたいと思うからです。

 

それだけに、
好きな人から嫌われるのは、
心痛く辛いものであるために、私たちは恐いのです。

 

だから、
この恐れが時に恐すぎて、
自分の方からワザと人を遠ざけたり、
自分の方から遠ざかったりするのです。

 

 

 
しかし、
価値観や環境が違うもの同士がパートナーシップを組むとき、
誰もが避けて通れないものなのです。

 

 
では、どうすればいいのでしょう。

 

結論から言うと、
あなた(先に気づいた方)が相手に思いやりを持って近づくほど、
二人の間にはどんな問題も存在しにくくなります。

 

相手に近づくほど、
そこでの親密感によって、
安全さや心の安らかさが生まれ、
そこに真のコミュニケーションが築かれやすくなるのです。

 

するとお互いをとても近くに感じられ、
互いに持っている古い痛みをおもてに浮かびあがらせることができ、
そのときに互いが向き合ってよりよくなろうとする気持ちを持った
真のコミュニケーションが生まれるのです。

 

そして、
古い痛みは互いにとってさらに
相手を深く理解することにつながり、
さらに相手への信頼と思いやりを持って
相手のことを敬い愛する気持ちが湧き起こります。

 

それこそが、
互いの古い痛みへの変容という癒しがおこり
より絆の強い親密感(親密さ)を持つことができるのです。

 

 

 
「親密さ」をあらわす“intimacy”という英語は、
もともとラテン語の“in”と“timre”という、
「怖れない」という意味の言葉からきているのです。

 

つまり、親密さは、
相手に近づくことは自分のことを
すべて知られてしまうという怖れが出てくるだけに、
多くはここでその感情を味わうには
あまりも辛すぎると思うので、
その感情に背を向けてしまうことがおうおうにしてあるのです。

 

だから「怖れない」で、
相手と向き合いそこで互いが持っている
古い痛みを分かち合おうとする、
真のコミュニケーションをすることが、
互いの古い痛みへの変容という癒しを起こし、
より絆の強い親密感(親密さ)を味わうことができるのです。

 

 

 
真のコミュニケーションとは、
これを話したらきっと相手は私を嫌うだろう・・・
という自分が一番語りたくないものであったり、
今まで自分の心の中で誰にも言わずに
心の奥深くにしまいこんでいたものかもしれません。

 

それだけに怖いのです!

 

だからそれを話すときは、
すべてを失ってしまうような気持ちに駆られたり、
涙が出るくらい怖く辛いものかもしれません。

 

でも、そんな深いコミュニケーションができたとき、
誰があなたを責めるでしょうか。
誰が、あなたを嫌いになるでしょうか。

 

逆に相手はこう言うでしょう。

 

「分かるよ!俺(私)も同じ経験をしてきたから・・・」と。

 

人はそんなときに、愛おしさを感じるのではないでしょうか・・・。

 

 
あなたの身近な人の中で、
あなたがもっと親密になりたいと思う人は誰でしょうか。

 

それは・・・、
あなたが今思い浮かんだ人が、
あなたが近づいて、
癒しにつながるような
安心できる親密な関係を待っているのかもしれません。。。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です