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「彼女に書いた創作物語」

 

彼女に「とんでもない一言」6月16日の記事を参照)を言った次の日、私は気持ちよく目を覚ました。まるで昨日のことは、遠い過去の出来事のように思い出しながら、「ま~、なんくるないさぁ~(なんとかなるさ)」と、沖縄の方言を口ずさんでいた。

 

 

私はいつもと同じ時間ぐらいに彼女にメールを送ろうと書いていると、彼女に執着していた気持ちを手放したことがよかったのか、なんと先に彼女からメールが来た。

 

私は、『おっ!シンクロ!(シンクロニシティを簡略した言い方で、意味は共時性の一致)つながってるやん』とわくわくしながら、彼女のメールに目を通した。

 

「お疲れさまです。きのうはありがとうね。きのうも話したけど、ホント出会ってまだ数週間っていうカンジがしないね」と、書いてあった。

 

私はそのメールを読んで内心正直ホッとしながらも、『昨日の俺の不安と自己嫌悪はなんだったん?』と、思わず苦笑いする自分がいた。

 

私は、彼女に書きかけていたメールの内容を消して、
「お疲れさま。久しぶりに会うとやっぱ嬉しいな。ほっとしたら言葉失ったわ(笑)それだけゆかが○○あるってことやな。○○あるやで。わかってるくせに~」と、今思うと呆れるぐらい呑気な返事をしていた。

 

彼女からは、すぐに返事が返ってきた。
「○○って何やろ~。わからぁ~ん(笑)」と。私はすぐに、
「秘密(笑)正解の方には、最高級とろける黒毛和牛を一頭プレゼント。」
「ハハハ。黒毛和牛もらったら保管場所に困るわぁ(笑)」と、なんともバカらしくなるような呑気なメールのやり取りをしていたのだった。

 

 

すっかり気をよくした私は、なぜか彼女にオリジナル物語を書こうと思い立った。いざ書こうと思うと題材がなかなか浮かばず、しばらく思案に耽っていると、ふと節分の時にいう『鬼はそと、福はうち』のフレーズが浮かんできた。

 

私は、『鬼は外、ということはなにか心の中に棲んでいる鬼?それを追い払って、幸せになるっていうこと?』と思うと、なぜか約15年も前のある女性のことを思い出し、それを題材にフィクションという形で書こうと思った。

 

それから、私はものすごい勢いで考えを文章にして、毎日彼女にメールを送った。

 

それが、ブログにもある架空の和尚と女性との対話『心のセラピー物語Ⅰ 男性不信を乗越えて』だった。

 

その後、あれよあれよと心のセラピー物語Ⅰは三部作となり、
『心のセラピー物語Ⅰ 男性不信を乗り越えて』
『心のセラピー物語Ⅱ 生きている意味なんて』
『心のセラピー物語Ⅲ どんな私でも愛される』となった。

 

この私の体験を基にイメージして創作した完全なフィクションであったが、私にとってもとても学びと気づきの多い感謝をする物語となった。

 

私は、この心のセラピー物語の「心のセラピーの章」を書き終えたとき、私は彼女に「ほんとうにみんなに幸せになってほしい。自分が生かされて来たから。」と、そのときのありのままの気持ちをメールで伝えた。

 

すると彼女から、
「『ほんまにみんなに幸せになってほしい』って口だけで綺麗事言う人はゴロゴロいるけど、まさはそうぢゃなくホンマに心の底からそう思ってるんやろうなぁってまさの色んなお話聞いてたら、つくづく感じる」と、とても嬉しい返信があった。

 

そして、この『心のセラピー物語Ⅰ 男性不信を乗越えて』を書き終えたときには、彼女から次のような感想が届いた。

 

「こんばんは。ストーリー完結しましたね。今回は特に感慨深い作品だったなぁ!!『心の戦争』って今まで生きてきた過程の中で、誰しもが多かれ少なかれ持っているものなのかなぁと思いながら読んでました。」と。

 

私は彼女と会っているときは、記憶にほとんど残らないようなそのときの乗りの話だったが、この物語を通して、なにか何歩も彼女との心の距離が縮んだように感じたのだった。

 

 

次回6月27日(木)は、まだ彼女と出会って数か月のことを引き続き書こうと思ったのですが、この日は私の46回目の誕生日。それなのに、この彼女とのはじめてのビックイベントを「いつ書くの?今でしょう!」ということもあり、次回は「Today is my birthday」と題してお話ししたいと思います。

 

 

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