第三の法則 『自分のやりたいことを見つける法則』

「やりたいことを制限してしまう罠 ~その2~」

 

「受け取ること」と「感じること」を 意識していない理由には、二つのことがある というお話の続きです。

 

一つ目は、多くの人がこのような 「受け取ること」「感じること」 という教育を受けていないということです。

 

私たちは、一歳半から五、六歳までの幼児期は 比較的感情を感じることをオープンにやってきました。

 

しかし、六歳からの児童期や十二歳からの青年期にかけて、 私たちは感情を感じることよりも、 社会で生きていくための教育として 思考という頭でものごとを捉え、 感情を抑えることを学んでいくからだと思います。

 

二つ目は、自分の感情と向き合うことは、 つねにいい感情ばかりではないからです。

 

誰しも自分の嫌な感情を 喜んで感じる人はいないと思います。

 

だから私たちは時に、 自分の嫌な感情を感じないために、嫌われたくないという思いからいい子ちゃんを演じたり、過剰なまでのサービスや人に気に入られたいという一心で 仕事中毒になるぐらい体に鞭打って働いたり、自分にとって嫌なことでも 異常なまでも自分の感情を抑圧して 相手や環境に合わしたりと、 自分の嫌な感情をうまく押し隠して 生きているつもりなのです。

 

つもりと書いたことには、訳があります。

 

それは、自分の心の中では、 それらのことを知ってやっているからです。

正確に言えば、 意識して知っていることもあれば、 潜在意識の中で(頭では意識していないが、 心の中で過去の体験として知っている) 知ってその状況を選んでいる自分がいるのです。

 

なぜこのようなお話をするかと言うと、私たちは、多かれ少なかれ 過去の体験のなかで感じた度合いは違っていても、 ほとんどの人の中に何かしらのそのような感情を持って 生きているからです。

 

私たちが、 ほんとうにやりたいことを 見つけようとしたり、あるいは見つけて 行動しようとしたりするときに、自分の心の中で何らかの制限が掛かって 自分のやりたいことや自分の人生を生きることに、ブレーキを掛けてしまうことが、 ほんとうに多くあるのです。

 

そして、自分の中で その制限が大きければ大きいほど、私たちは変わろうとしても 前に進もうとしても 何かやる気が起こらないような全く動けない気持ちになってしまうのです。

 

そんな状態が長く続くと、 そんな自分自身が嫌になってきて、 場合によっては、「そんな自分はダメな人間なんだ」 と自分を罰し、自分をちっぽけに扱い、 何をやっても無駄なような気がしてきて、 「自分は何のために生きているのだろう」 と思い悩みながら、人生というよりも、日々に流されて、 生きている感じになってしまうことがあるのです。

 

次回は、もう少し踏み込んだお話をします。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です