『ありがとうの効果と秘訣』 (ありがとうの達人のなり方)

 

 

「ありがとう」の言葉を“意識して意図的”に習慣化することによって、
「ありがとう10か条」のことが実際に起こってきます。本当に生き
やすくなった実感があります。

 

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さて、昨日『息子から母への最初で最後の手紙 (私のありがとう体験談Ⅲ)』
から、さらに1年数か月後のお話になるのですが、母の精神的疾患を機に体力
的な衰えも加速し、最後は老人の長期入院を要する療養型病院へと転院してい
ったのでした。

 

この病院への転院後は、日に日に衰えが目立ちました。それは、箸が持てなく
なってフォークやスプーンになり、最後は赤ちゃんに食べさせるように、
食事への介助が必要となりました。

 

 

周りから見れば痛々しい状況なのですが、なぜか私は不思議と母が愛らしくて
しょうがなかったのです。ほんとうにもう赤ちゃんと接しているような、
楽しくてすべてを愛でる感じでした。

 

 

母の最期は多臓器不全で亡くなるのですが、
最期は意識もないただ寝ている状態でした。

 

 

私は病室に行くと、いつものようにベビーベッドに寝ている赤ちゃんに
語りかけるように話しかけていました。

 

 

いつもは反応がないのですが、この日は母から言葉の反応があったのです。

 

 

私はいつものように母に向かって「だれかわかるか~」と言うと、
か細い声で私の名前を言うのです。こんな嬉しいことはありません。

 

 

それからいろいろと話すのですが、もう言葉が返ってこなくなりました。

 

 

しばらくすると、母がなにやら時間を何度も言うのです。
「いちじよんじゅっぷん」と。私が反復すると「うーん」と
何度も返事していました。

 

 

そらからまた言葉が返ってこなくなりました。

 

 

そうこうしているうちに、面会終了時間に近づき、私は帰る間際に
もう一度来たときと同じ「だれかわかるか~」と言葉を投げ掛けたのです。

 

 

すると母は、母の一番上の姉の名前を言いました。

 

 

私は「ちがうで~、だれかわかるか~」というと、今度は私の名前を
言ったのです。私は嬉しさよりも母が愛らしくなって、次の瞬間無意識に
次のような言葉を発していたのです。

 

 

次回『すべてはゆるされた後半(私のありがとう体験談Ⅳ)』につづく。

 

いつも、お読みいただき本当にありがとうございます。

 

 

 

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