20140414やる気

 

 

やる気にさせる必要はない!(第⑩話)

 

 

“こどものこころアドバイザー(心理セラピスト)”の
前中 光曉(まえなか こうぎょう)です。

 

 

親の子供を思う心配は、尽きることがありません。
ゆえに、心配のあまり子供によかれと思ったことが、
いつしか親の価値観を押し付ける(コントロールする)ことがあります。

 

 

それは、結果的には、子供に考えたり気づいたりする時間を持たせ
なくしてしまい、子供の可能性を小さくさせてしまうことになるのです。

 

 

親は、子供に自分ができることをできるだけ与えてあげたいと思います。
それは、心からの無条件の愛です。

 

 

そして、その子のためにと「責任」を強く持つものです。

 

 

それだけ、親は、いつも子供に自分自身を与えていると
いってもいいかもしれません。

 

 

 

ただ、この「責任」で気をつけたいのが、
「親が子を思う責任」のあまり、自分の人生よりも、
子供の人生を生きてしまうことです。

 

 

そうなると、意識が自分の人生を、子供の人生になったかのような
錯覚を起こし、その意識は、子供への思い入れとして強くなり、
結果、子供に「執着」してしまいます。

 

 

「執着」は、「期待」を生みます。

 

 

「期待」は、私たちが「期待どおり」にいかないと知っている分だけ、
「期待どおり」にいくようにと躍起になります。

 

 

人は、「期待どおり」にいかないと「落胆」します。

 

その「落胆」の原因が、いたらない「親の責任」だと思い込んで
しまうと、その「責任」を背負ってしまいます。

 

 

 

重くのしかかった「親の責任」を軽くするためには、
「安心」を必要とします。

 

 

その「安心」を得るための手段として、
「期待どおり」以上に完璧さを求めて「思うどおり」に、
子供を従わせようとコントロールするのです。

 

 

 

「親が子を思う責任」のあまり、「責任」を背負ってしまう
というお話をしましたが、親の「責任」に目的があるとすれば、
それはいったいなんなのでしょうか。

 

 

それについては、次回にお話したいと思います。

 

 

いつもお読みいただきありがとうございます。
 

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