もうやる気

 

親が自己肯定感を高めた心の習慣を創ること。それが子供の豊かな発想力や前向きな考える力、主体性を育む最大の教育になり、子育ての早道。

 

すなわち、『感謝を笑顔でする心』を親である私たち大人が育むことにある。

 

 

『Ⅹ.子供若者の未来を創る』
「第12話:伝家の宝刀を抜く叱り方」

 

 

 

伝家の宝刀を抜くとは、いざというときに使う切り札のことです。

 

 

親が子供と接している時に、子供が調子に乗ったりして、羽目を外すことがしばしばあります。

 

 

小さな子供が、自分一人で踊り狂うように楽しんでいる時は、思わず笑いが込み上げ、微笑ましく見届けることができますが、人に危害を加えそうになったり、度を越した危険行為になる時、親は心に冷やっとしたものが走ります。

 

 

そこで間に合えば、子供に注意をして叱ることができます。

 

 

しかし、親の心に冷やっとしたものが走っても、間に合わず、子供が惨事を引き起こすことがあります。

 

 

この時こそが、「伝家の宝刀を抜く」叱るときなのです。

 

 

なぜなら、子供が惨事を引き起こした時、子供は心ではただ事ではない恐怖の感情を味わっています。子供が動揺して見えるのは、その状況を頭で理解するための判断基準を探しているからです。

 

 

その時に厳しく叱ることは、子供に善悪を教え、生きる『ひとり立ちできる力(厳しさ)』を教えることになるのです。

 

 

同じようなことで、子供が熱湯に手を入れようとしているときに、大きな声が出て叱ることで、子供はそこではじめて、いけないことだとわかるのです。

 

 

 

ここで気をつけておいてほしいことは、「伝家の宝刀」は、家宝として代々伝えられてきた名刀ですから、いざと言うときに一回“活”を入れれば十分なのです。

 

 

それを何度もくどく声を荒げて言うことは、自分の心配や不安からの怒りの感情を、力任せに振り回して相手を滅多切りすることと、同じことになります。

 

 

そうなると、子供は本来学ばなければならないことが学べず、逆に敵意や逆恨みを持つようになり、反抗的な態度を取るようになってしまうのです。

 

 

 

叱る基準は、自分が生きて来て身に付けた道徳的な価値観であるだけに、多く気分によって叱る基準が曖昧になりやすく、つい目の前の子供の行為に感情的になってしまいます。

 

 

そのような意味でも「伝家の宝刀を抜くという叱り方」という、子供が本来学ばなければならない機会である明確な判断基準を持っていると、日々の叱ることへの助けになっていきます。

 

 

前回に言った「親として子供がダメなことをした時には、私は真剣に向き合って言う」という心構え(姿勢)です。

 

 

 

誤解があってはいけないので、「伝家の宝刀を抜くという叱り方」は、手を挙げるということではなく、真剣さ(=宝刀も真剣)という厳しさを伝えることなのです。

 

 

そもそも叱るとは、親と子(人と人)との信頼のなせる、厳しさの中にある真の優しさなのです。

 

 

そのためにも、日々“ゆとりと子供を信じる”心の余裕が、適切な“活”を入れることになることは、言うまでもありません。

 

 

次回は、昔と今の子育て本について、お話したいと思います。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

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