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『§まっすぐに生きるのが一番』
「第2話:自分らしく生きるって!」

 

 

前回は、『まっすぐに』生きるとは、
『正直に、素直に』生きること。

 

 

そしてそれは、
『自分らしく』生きることだと。

 

 

しかし、私たちは言葉一つ一つにどこかで、
何かしらの意味づけをしているんです。

 

 

そこで今回は、まずこの『まっすぐに』
『正直に、素直に』『自分らしく』の言葉を、
私たちはどのように意味づけしているのかについて、
お話したいと思います。

 

 

 

例えば親が我が子を見て、
「まっすぐに正直に素直に生きてほしい」と、
言うのをよく聞いたりしますよね。

 

 

そして、
「自分が思うように自分らしく生きてほしい」と。

 

 

このような言葉を聞くと、
本当に心の底から親が子を思う愛情を感じて、
心から温かい気持ちになります。

 

 

でも一方で、親である大人に、
「まっすぐに生きることが大事」と言うと、
どこか他人事だったりするんですよね。

 

 

なにか街角のキャッチコピーの言葉のように
無関心にただスルーしていくような・・・。

 

 

また「正直に素直に生きることが大事」と言うと、
「正直に、素直にね・・・」と言葉に反応するものの、
どこかずっと昔に諦めたような感じに・・・。

 

 

さらに「自分らしく生きることが大事」と言うと、
「そうね、自分らしく生きたいよね・・・」と、
遥か遠く実現不可能なような思いに。

 

 

 

私たちって子供には心からの愛情で、
まっすぐにそう言えるのに、
自分には正直で素直な気持ちには、
わかっていてもなかなかなれないんですよね。

 

 

それができない理由に、
私たちは、大人へと成長するに従って、
たくさん体験したことに意味づけをするんです。

 

 

わかりやすい例えで言うと、
「あつものに懲りてなますを吹く」
という諺がありますが、

 

 

やけどしそうな熱い体験をすると、
私たちはその体験を記憶に留めようとして、
その体験に意味づけをします。

 

 

そして熱い体験が、食べものにはフーフーすると思い、
冷たいものにまでフーフーしてしまうというわけです。

 

 

 

『正直に、素直に』『自分らしく』も、
いつの日に、あつもに懲りてしまったように、
その言葉に自分なりの意味づけをしてしまったんです。

 

 

本来はとてもいい言葉であるにも関わらず、
それがまるでいけないかのように、です。

 

 

 

私たちは子供から大人に成長し、
自分という自己を確立するために、
言い換えれば『自分らしく』を知るために、
様々なことを体験します。

 

 

たくさんの体験の中には、
嫌なことも苦しくつらいことも、
ときに傷ついたこともあったと思います。

 

 

そして、その体験したことをいい悪いは関係なく、
親や先生がそう言うから、社会がそうだから、
そういうものだから、そう思う方がらくだからと、
自分に納得させる理由を探して、

 

 

その時の自分を生きやすくするために、
私たちは体験したことに意味づけをするのです。

 

 

そして、いい意味づけは自己を成長させ、
役に立たない、役に立たなくなった思い込みの
意味づけは、自己を停滞させるのです。

 

 

それでも私たちは、
いろんな気持ちを体験して来た中で、

 

私たちの心は、なにが本当の自分で、
なにが本当に大切で、なにが本当の真実かを
潜在的に知っているのです。

 

 

だから『自分らしく生きる』ことに反応するのです。

 

 

 

『自分らしく生きる』こと。

 

それは『まっすぐに=正直に素直に生きる』ことです。

 

 

しかし、『正直に素直に』の言葉に、
なにか抵抗する気持ちになったり、
心が委縮する気持ちになる度合だけ、

 

私たちは『自分らしく生きる』ことを、
難しくさせてしまうのです。

 

 

さて次回は、
『まっすぐに』『正直に、素直に』『自分らしく』
生きるために、どうしたらいいのか、
その答え探しについてお話したいと思います。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。
 

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