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人の欠点などを批判したり、相手はひどい奴だと罰するとき、

実は自分の隠れた罪悪感をも罰しているのです。

 

 どういうことかと言うと、

相手の人の中に嫌な面や腹が立つような面を感じるということは、

実は自分の中に相手のことをそのように思って

許せない自分がいるのです。

 

 

 例えば、

すぐにカッとなって怒る人を見たときに、自分も腹正しくなって

そんな相手を許せないように思うということは、

自分の心の中にも、すぐにカッとなって怒る自分がいたり、

以前に誰かにすぐにカッとなって怒られた経験があったりするからです。

 

 なぜなら、

自分が穏やかな性格でそのような経験がなかったら、

何であの人はすぐにカッとなって怒っているのだろうと

不思議に思うものだからです。

 

 多く人は、

全く同じ人生を歩んだ人は一人もいません。

 

 その人は、

与えられた環境や状況、

そしてその人が生きてきた人生のストーリーの中で、

できるがかぎりのことをして生きたきたのです。

 

 そう、あなたもそうであるように・・・。

 

そのことに気づいてください。

そんな目で相手を見てあげてください。相手の人の潔白さを見てあげてください。

 

誰も好きこのんで、

そのような性格を自分自身に受け入れていないのですから。

 

 相手の不満を言うよりも、そんな人を見たときに、

「そんなあなたはまるで私のよう。

互いが幸せに生きれますように」

と心の中で思えたとき、自分の心のざわめきは消えていくのです。

 

 そのことを言うことは、

相手の人が無実であるということを認めてあげることであり、

そう自分が思うことで、

自分の中の罪悪感も無実であると認めることになるのです。

 

 そして心に平安がもどることで、

自分自身の罪からも自由に解放されるのです。

 

相手を罰したくなったら、

自分も罰することになるということを思い出して、

相手の中の無実さ潔白さを見ることで、

自分自身の罪をも一緒に解放してあげてください★

 

 

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