『§まっすぐに生きるのが一番』
「第65話:働くとは、奉仕すること」

 

 

哲也が意図しないまま「殺し文句」を言った瞬間から、哲也と優花はお互いを認め合った唯一の存在として、恋人同士の関係になった二人の物語。

 

 

哲也は、優花のおばあちゃんから

 

 

「人はなんのために生きるのか、なんのために人に尽くそうとするのか、それをしっかり自分の中に持っておかないと、人は他人の評価や顔色を窺って生きてしまうように思う」

 

 

と言われ、自分の人生のことを考えていた。

 

 

おばあちゃんは、また静かに話し出した。

 

 

 

「最近は世の中が生きにくくなったわね。

 

 

物質的に豊かになって来ると、次に来るのは精神だね。

 

 

ものは目で見てわかりやすいけど、こころは感じるものだから、目で見てこれって言えないから、人が感じる度合だけ多種多様になってきたわね。

 

 

働き方もそれに応じるように多様化もしてきて、社会で働く若い人たちにとって、仕事そのものが選びにくくなってきているのかしら。

 

 

哲也さんは、『働く』と聞いたらどんなことを思うかしら。

 

 

仕事をしてお給料をもらうことかしら。

 

 

深い意味までは、私もわからないんだけどね。

 

 

『働く』って、にんべんの『人』『動く』って書くわよね。

 

 

もっと簡単に言えば『人が動く』

 

 

人が動くと言うことは、『自ら与える』ことだと思うの。

 

 

自ら与えるってことは、『奉仕すること』だと思うの。

 

 

誰かのためにね。

 

 

それを『働く』って言うのではないかしら。

 

 

哲也さんは会社で働いているわけだけど、自分が奉仕したその対価としてお給料をもらっているわけですよね。

 

 

でも、世の中の多くの人は、言われたことをやったから、これだけのことをやったから、それに見合うお金をちょうだいって言っていると思うの。

 

 

そう思うと、どこか受身的になるように思わないかしら。

 

 

『自ら動き与える』と思うと、

 

 

『どうやったらいいのだろう』とか、
『どうやったらもっと喜んでもらえるだろう』とか、
『どうやったらお役に立てるだろう』と考えると思うの。

 

 

最近は、働いてもすぐ会社を辞めちゃう人も多いとか言ってるわね。

 

 

若い人たちは、働くっていうことをどう考えているのだろうね。

 

 

どこか受身的な発想のまま卒業したら就職するって思いながら、働く意味を知らないまま就職活動という言葉に流されて、職に就いているのかしらね。

 

 

哲也さんは若い新人の方も教えたりしているから、思うところがあると思うんだけど、哲也さんにとって『働く』とはどんなふうに考えていらっしゃるのかしら」

 

 

哲也は急におばあちゃんから振られて、内心あたふたしていた。

 

 

哲也は今まで『働く』と言うことを、そこまで考えたことがなかった。

 

 

まして、『自ら与える』、『奉仕する』ことなど一度も思ったこともなく、ただ会社に行って言われたことを自分なりに考えて、仕事をしてきた。

 

 

おばあちゃんはさっき(前回)『自分がしっかりとどう生きるかが大切』だと言っていた。

 

 

『働く』という考え方と『どう生きるのか』は、つながっている?

 

 

哲也は仕事に対して、どこか受身的な自分がいると思った。

 

 

そして、どう生きるかに対しては、前向きで建設的な自分がいると思った。

 

 

哲也はこの相反する考えを思うと、急に心の中でどちらにも動けない不安に駆られた。

 

 

そして、そこにはどこか今まで中途半端な自分、どこか煮え切らない自分がいて、自分の意志というよりも周りの出来事に合わせて、いや流されて生きているような自分がいるように思った。

 

 

おばあちゃんが言う、働くことは『自ら動き与える』。それは誰かのために『奉仕すること』?

 

 

哲也はさらにこんな気持ちが頭に浮かんだ。

 

 

『誰かのために必要とされたい』
『誰かのために役に立ちたい』
『誰かのために喜ぶ顔がみたい』

 

 

そしてそのために努力した結果、『ありがとう』と感謝される言葉は、何とも言えぬ心の底から湧き立つ喜びになる。

 

 

そのために“人は働くのだろうか”と、哲也はなにか閃く予感を感じつつ、その横でおばあちゃんは静かにお茶をすすったのだった。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

 

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