『§まっすぐに生きるのが一番』
「第66話:自分らしく人に与えていく生き方」

 

 

哲也が意図しないまま「殺し文句」を言った瞬間から、哲也と優花はお互いを認め合った唯一の存在として、恋人同士の関係になった二人の物語。

 

 

前回、優花のおばあちゃんは、「働く」ことについて話をした。

 

 

哲也はその話を聞いて、自分なりに「働く」ことについて考えていたのだった。

 

 

「哲也さん、『働く』と言うのは『自ら動いて与える』ことだとお話いたけれども、この『与える』と言われたらどんなことを考えるかしら。

 

 

『与える』と言われて、言葉ではわかるとは思うのだけれども、じゃ実際にどのように与えて行けばいいのかと言われると、あまりにも漠然としていてちょっと戸惑わないかしら。

 

 

簡単な言葉ほど、奥が深くて難しかったりするものよね。

 

 

でも『与える』と聞いて、なにか心が揺り動かされるということは、ここに人がなにかを感じ思う真理みたいのがあるように思うのよね。

 

 

人としてなにか大切なことをね。

 

 

私は思うのよね。

 

 

『与える』と言うことは、自分がだれかのためになにかを産むこと。

 

 

つまり、自分がだれかのために、やってあげたいことを創り出していくことだと。

 

 

だから、人はこう思うのではないかしら。

 

 

『誰かのために必要とされたい』

 

 

『誰かのために役に立ちたい』

 

 

『誰かのために喜ぶ顔がみたい』

 

 

ただ気をつけないといけないのが、自分の渇望感や自尊心を満たすためにやると、それは『やってあげている』という気持ちが相手にも伝わってしまうと思うの。

 

 

だから、素直な気持ちで、相手の人が必要としていること、相手の人が役立つこと、相手の人が喜ぶことを、考えてできることを生み出し創り出していくことだと思うの。

 

 

今までもそうだったからこそ、ここまで世の中が豊かになり便利になったと思うの。

 

 

でも、これからの時代は、物質的な豊かさだけでなく、もっともっと心という精神的な豊かさが問われて来ると思うの。

 

 

それは、人として立派な生き方、『人間性』が大切になってくると思うの。

 

 

自分を律する強さ(自律性)だったり。

 

 

誰かのために役立つこと(社会貢献)だったり。

 

 

どんなことも受け入れられる心の広さ(多様性の理解)だったり。

 

 

それが、『自分らしく人に与えていく生き方』になると思うのよね」

 

 

 

 

哲也は優花のおばあちゃんの話を聞き、一瞬自分が考えていた(前回)ことと同じことに喜びかけたが、

 

 

自分の中にある渇望感や自尊心を満たそうとする自分がいることに気づき、ドキリとした。

 

 

でも、おばあちゃんの話を聞いて、頑張ろうと前向きになる自分がいることに、なにかもっともっと人の役に立てる人間になりたいと思った。

 

 

そのためにも、自分自身がもっと成長したい気持ちに駆られた。

 

 

そして、その思いがなにか生きる喜びを感じる自分がいることに気づいたのだった。

 

 

 

一言で言うと、『自分らしく人に与えていく生き方』であるが、

 

なぜそう思いそう思ったのかに至る考えを知ることができると、

 

人はもっと簡単にもっと素直に行動に移せるのかもしれない。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

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