『§まっすぐに生きるのが一番』
「第75話:“自分らしさ”のつくり方」

 

 

哲也が意図しないまま「殺し文句」を言った瞬間から、哲也と優花はお互いを認め合った唯一の存在として、恋人同士の関係になった二人の物語。

 

 

哲也と優花はドライブに出かけ、車中での二人にとってたわいない会話の中で、互いの価値観を認め合いながら二人の絆を深め合っていた。

 

 

今回はドライブ中に見かけた看板の言葉のお話です。

 

 

「見てみて、あの看板」
そう言って運転中の哲也は優花に見るようながした。

 

 

『たべて うごいて よくねむって 自分らしく』

 

 

「あの看板の言葉、すごくない?」

 

 

「小学生が書いたなにかの標語じゃない」

 

 

「それっぽいけど、“自分らしく”って小学生が使う?あれって先生が書いたんじゃない?」

 

 

「意外と小学生が書いたかもよ」

 

 

「“自分らしく”を?そんな概念小学生にある?」

 

 

「さあ。でもあの言葉、なにか腑に落ちるよね」

 

 

「そうなんだよ。なんかスゲーと思ってさ。なにがスゲーかと言うと、あれなんだけど」

 

 

「あれってわかんないじゃ。言語化して」
優花は、哲也が反応した気づきを言語化する話を聞くのが好きだった。

 

 

ただ優花も哲也と長くつき合っていると、“説明して”と言うとくだくだと話が長いだけのことが多く、“言語化して”というと核心めいたことを言うので、その辺は心得ていた。

 

 

「まず思ったのはさ、これって俺たちの生きる基本であって、それが自分らしく生きることになってるじゃん、って思った。

 

 

“食べて、動いて、よく眠って”って、まさに自分自身をつくる原動力じゃん。そのバランスが崩れるから自分の軸もぶれるんだって思った。

 

 

だってさ、仕事をしてると、

 

 

『たべて、うごいて、よくねむって』が、

 

 

「よく食べて、動かず、寝不足」じゃん。

 

 

だからこの言葉、“言い当ててる!”って思ったんだよ」

 

 

「ほんと哲也の言うとおりね。現代社会に生きている多くの人にとって、“よく食べて、動かず、寝不足”っていい当ててるね」

 

 

優花は哲也の言語化された話を聞き、

 

 

“自分らしさ”って、なにか自分のやりたいことを見つけて生きなきゃって、そんなふうに思えてたけど、

 

 

『たべて、うごいて、よくねむって』という当たり前にすることが、シンプルに生き生きと生きる“自分らしさ”をつくっていくのだと思えた。

 

 

そして、こうも思えた。

 

 

仕事や日常生活に追われた気分の中で、これといったなにか触発されることもない流された日々の中で、『よく食べて、動かず、寝不足』でいると、気だるさやストレスだけが溜まっていく。

 

 

そんな中で、物質的な欲求が満たされた時代から、精神的な心を満たす欲求が強くなっている。

 

 

心が満たされないと思う分だけ、人はその反動として、もっと心が満たされた自分で在りたいと存在理由を探して、自分らしさを求めるのかもしれない。

 

 

自分らしく生き生きと生きている人が言っていた。

 

 

自分はそんなふうに思ってないと。

 

 

『ただ自分に正直に生きてるだけで、だから楽しいのかな』と。

 

 

その人に会ったら聞いてみたい。

 

 

『よく食べて、活動的で、よく寝むれていますか』と。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。
 

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