『§まっすぐに生きるのが一番』
「第79話:自然から学ぶ機会を持つこと」

 

 

哲也が意図しないまま「殺し文句」を言った瞬間から、哲也と優花はお互いを認め合った唯一の存在として、恋人同士の関係になった二人の物語。

 

 

前回は、ものごとを当たり前と思わずに、もっと日々の中で“有り難さ”や“お蔭で”の心を持って生きていきたものだ、というお話をしました。

 

 

今回は、日々の中で“有り難さ”や“お蔭で”の心を持って生きていけるためには、どんなことをしていくと、そんなふうに思えるようになるのかのお話です。

 

 

 

哲也と優花は久しぶりに二人になる時間ができ、二人でドライブにでかけていた。

 

 

車中気がつくと、二人は思い思いに人生について語り合っていた。

 

 

「日々の中で“有り難さ”や“お蔭で”の心を持って生きてくということは、とてもわかるけど、そうなるためには、一つは“ものごとを当たり前”と思わないことよね。

 

 

でも、哲也も言っていたけど、日々の生活をしていると、ついついそんなことを忘れてしまうよね。

 

 

どうしたら、ずっとそんなふうに気持ちを持ち続けられると思う?」

 

 

「そう言われると、簡単そうで難しそうだよな」

 

 

「私も考えてみたら、同じようなことを思ってさ」

 

 

「優花のおばあちゃんだったら、どんなこと言うんだろうな」

 

 

「そうね、おばあちゃんだったら、“幸せに思える習慣をもちなさい”とかなんとか言うのかもね」

 

 

「なんでそう思った?」

 

 

「えっ、ただそう思っただけなんだけど。“幸せに思える習慣?”」

 

 

優花はおばあちゃんが東京に来る前、秋田で田舎暮らしをしていたことを思っていた。

 

 

 

「そうね、おばあちゃん、東京に来る前は秋田で農業していたのよ。朝起きてから畑に行って、そこで摘んできた野菜を朝ご飯に出して食べたりして。

 

 

おばあちゃん、毎日って言ってたな。畑に行くのが楽しいって言ってたな」

 

 

「なんかそこにヒントがある気がするよな。野菜が実ってて、うん?いつも野菜が実ってるわけないな。収穫ができるには、種を蒔いて、水をやって、害虫からも守らないといけないし」

 

 

「それって野菜を育ててるよね。種を蒔いて世話をして収穫できるようになるんだけど、すぐにできるわけじゃないじゃない。

 

 

時間と手間暇かけて、やっと一人前の野菜になるのよね。

 

 

なんか子供を育てるように、日々のいろんなことを考えたりしながら、ときには嫌なことをも忘れさせてくれたりして。

 

 

そこに、おばあちゃんがおばあちゃんである居場所があるんだよ。

 

 

おばあちゃんにとって、畑はサンクチュアリなのよ。

 

 

つまり、聖域ってこと」

 

 

「優花はいつもながら、凄いこと考えるよな。サンクチュアリか。聖域ね」

 

 

「そこでの日々の習慣は、おばあちゃんが幸せに思える習慣をつくっていたのよ」

 

 

「なるほどね。畑からいろんな幸せになることを学んでいたってわけか。

 

 

そう言う意味では、自然がいろんなことを教えてくれのかもね」

 

 

「そうよ、自然が私たちに幸せに生きる知恵を教えてくれたり、自然によって私たちが幸せを感じたり。桜を見て人が癒されるように。

 

 

アメリカの思想家であり、哲学者、作家、詩人、エッセイストでもあるエマーソンが言ってたわ。

 

 

『万物は神とつながっていて、そのため万物は神聖』だって。

 

 

『神は真理を明らかにする必要はなく、真理は直接自然から、直観的に体得することが出来ると示唆している』って。

 

 

そう言えば、近所の明るくていつも元気なおばさんがいてさ、そのおばさん毎日花に水をやりながらなんかしゃべってるの。

 

 

そしていつも隣近所までほうきで掃いてきれいにしてくれているの。

 

 

掃除ってきれいになると、気持ちもすっきりするじゃない。

 

 

哲也、私たちって自然から学び、心がすっきりする習慣を持つことが大事なんじゃない。

 

 

私たちって、そんな時間をつくる暇がないのか、ずぼらをしているのか、そんなことをしなくても機械が、してくれないよね。

 

 

人工知能搭載のロボットが代わりにしくれたとしてもだよ、便利で楽にはなるけれども、私たちが直接“体験”するわけじゃないから」

 

 

哲也は優花のそんな話を聞きながら、世の中どんどん楽で便利になるのはいいことだけれども、自ら体験して学ぶことがバーチャル(仮想現実)ですまされていくような時代。

 

 

自ら自然を感じ、自ら自然から学ぶ機会を持つことが、生きているものとして、生きるものに触れることで、人はそこから大切な気づきを得るような気がしたのだった。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

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