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この言葉を初めて耳にすると、
「???」という感じになるのではないでしょうか。

 

 
でもよく考えてこの言葉の意味を理解してみると、
多くの人が何かしらの心当たりがあるのではないでしょうか。

 

 
私たち人間誰しも、
根本的に人に何かを与えるのがとても大好きなのです。

 

 
簡単に言うならば、人に何かをしてあげたりして、
その人の喜ぶ顔を見るのが大好きなのです。

 

 
なぜなら、
そこに自分が役に立ったと思えるし、
自分が受け入れられているという確認ができるし、
強いては、人間の奥深いところでは、
「私は生きていていいんだ~」という、
自分の生存・存在理由を感じることができるからです。

 

 
 
しかし、私たちは、
人のためにと思って与えているのに、
なぜ傷つくのでしょう。

 

 
どんなときに傷つくのでしょう。

 

 
 
 
大きく二つあると思います。

 

 
一つは、
自分が相手の人のためと思って与えたのに、
それを認めてもらえない、
受け取ってもらえないときです。

 

 
例を挙げると、
「相手のために一生懸命作った料理を、喜んでもらえないとき」などです。

 

 
 
もう一つは、
相手の人のためにと思って、
相手に拒絶されたと感じるときです。

 

 
例を挙げると、
「相手のために一生懸命作った料理を、まずい!と言われたとき」などです。

 

 
 
そんなとき、想像するだけでも、
とても悲しくてとても辛い気持ちになりますよね。

 

 
 
私たちは、
相手のことに好意があるほど、
相手のへの期待も自然と膨らんでくるのは
当然のことかもしれません。
特に恋をしたときなどは、
こんな気持ちを味わったことが
一度や二度あったのではと思います。

 

 
与えているのに傷つく理由は、
それは相手から特定の反応を期待したり、
何かをもらおうと見返りを要求したりする
気持ちがあるからです。

 

 
 
つまり、
相手があなたの望みどおりのかたちで
何かを返してくれると、
あなたが最初に思って
相手に何かを与えているのです。

 

 
 
もし、あなたが、
ただほんとうにして上げたい
と思って与えるなら、

 

 
そこには相手からの何かを返してほしいという、
見返りを求めようとする気持ちがありません。

 

 
 
相手の人から何も手に入れよと思わず、
何も必要としていないとき、
そこには拒絶されるということすら存在せず、
ただ純粋な気持ちから与えていれば、
傷つくという反応も起こりえないのです。

 

 
そのような気持ちで与えているとき、
人は心から満ち足りていて、
自分にも十分に受け取ることができるのです。

 

 
 
そんな時は
相手からどんな反応が返ってきても、
まったく問題になりません。

 

 
互いが
自由で楽で心オープンでいられる関係のとき、
そこには、傷つく要素など存在せず、
そこにあるのは、
相手へのいたわり思いやる気持ちだけがあるのです。

 

 
 
自分が相手に何かを与えて、
嫌な気持ちになったり、
落ち着かなくなったりするときも、
このことを思い出して、

 

 
ただ自分がそうしたいからするという、
子供のような純粋な気持ちで与えているか意識していくことで、
自然と与え自然と受け入れている自分に気がつくことでしょう。

 

 
 

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