『§まっすぐに生きるのが一番』
「第54話:経験すべき苦労と余計な苦労」

 

 

哲也が意図しないまま「殺し文句」を言った瞬間から、哲也と優花はお互いを認め合った唯一の存在として、恋人同士の関係になった二人の物語。

 

 

久しぶりに優花と会った哲也。楽しい会話の中で、好きだからこそつい意地悪なことを考えるのだが、いつも優花は一枚も二枚も上手なのだった。

 

 

優花は改めて大学時代の先輩に会った話をし始めた。

 

 

 

「この間先輩と会った時に、なかなかいい話をしてくれて。是非哲也にもと思ってね。

 

 

先輩が言うには、苦労には大きく二つあるって。

 

 

一つは『経験すべき苦労』

 

 

もう一つは『余計な苦労』

 

 

『経験すべき苦労』は、私たちが日々成長するために必要な苦労。

 

 

例えば、何かしようと思えば、それって新しいことでしょう。

 

 

新しいことって知らないことだから、いろいろと悩んだり苦労するわけ。

 

 

それが好きで選んだものであれば、悩むよりもワクワクするし、人から見たら苦労と思えることも、何かに挑む挑戦になっているのよね。

 

 

哲也が今度私とデートする時に、私を喜ばせてくれようと思って美味しいものを探してくれようとするじゃない。

 

 

その時って、いろいろ悩んでくれたり、時間を取って調べてくれたりすると思うけど、
苦労と思わないでしょう。

 

 

私も哲也のためにと思うと、どんな苦労も苦労と思わないし、ワクワクしてドキドキして楽しい。

 

 

 

でも、『余計な苦労』もあるわけ。

 

 

例えば、私はあまりそう言うことは思わないんだけど。

 

 

先輩曰く、今度彼氏がイタリアンを食べようと言ってくれて、予約しておくと言ってくれたとするよね。

 

 

それをちゃんと予約してくれてるのかなとか、美味しいお店をちゃんと探してくれてるのかなとか、デートプラン考えてくれてるのかなとか、いろいろ考える人もいるわけよ。

 

 

それでメールで聞こうか聞かないでおこうか、自分で調べてみたら美味しそうなイタリアンを見つけて、これぐらいのお店を探してくれてるかなとか。

 

 

あれこれ余計なことを考えて、結局取り越し苦労に終わったりするわけなのよね。

 

 

でね、ここからが先輩がスゴイこと言うのよ。

 

 

そんなこと思う人は、自分のことを幸せにしてもらえると思っている、他力本願な人なんだって。

 

 

それに変に情報を持っていたりすると、自分が満足できるルールみたいなものがあって、そのルールに沿っていればOKで、そうでないと不満になるんだって。

 

 

さらにね、そのような人は、自分のことを顧みてチェックするような自分と向きあるようなことをしないから、ずーっと自分に都合のいい物差し(価値観)でものごとを見る傾向にあるようなの。

 

 

そして、自分の物差しでものごとを見るから、自分が気に入らないことには我慢できずに、我慢したとしてもその我慢を溜め込んだりして。

 

 

それでその我慢した不満が自分をイライラさせるから、その不満を解消するために相手の悪口を言ったりして、毒を吐くんだって。

 

 

そうやって『余計な苦労』を積み重ねていくんだって。

 

 

それでね、先輩が言うには、そのような人ってあんまり考えることをしなくて、自分が楽しいことばかり求めようとして、自分が嫌だと思うことを避けようとして、自分と向き合おうとしないそうよ。

 

 

そして、自分が嫌だと思うことがあると、人のせいや周りや環境のせいにするんだって。

 

 

本当はその嫌なことと向き合うことで、どうしたらいいとか解決策や改善策を考えるんだけどね。

 

 

でも、そもそも考える習慣や発想がないから、変な被害者意識の自己愛だけが強くなって、自分は悪くないようなことを平気で言うんだって。

 

 

そんな新入社員が増えてきて、先輩大変って言ってたよ。

 

 

それでいて、人のために貢献したいとか、人のために役立ちたいと、平気で言うんだって。

 

 

私思うんだけど、多かれ少なかれ人って『余計な苦労』ってあると思うのよね。それを少なくしていって自分を生きやすくするのが『経験すべき苦労』というか、

 

 

日々成長のためにいろんなことを考えながら、解決策や改善策を考えて、一歩一歩前に進んでいくことが、“私らしい自分”になっていくんだろうね。

 

 

そのためには、人は誰かに助けられながら生きているから、そうやって人と人とが関わり合いながら、人は成長していくんだろうね。

 

 

哲也はどう思う?」

 

 

 

最近哲也は、優花がおばあちゃんと一緒に暮すようになってから、益々思考が洗練され、ときにこのような哲学的なことを振られるようになっていた。

 

 

優花と出会うまでは、“人間関係からのやすらぎよりも、自分の強さを優先させる”ことに、人に頼らず生きていくことに価値を置いていた哲也であったが、

 

 

今は自分自身のことをよく考えるようになり、自分のことを理解できた度合だけ、人の心にも寄り添い、人に優しくなれてきたようであった。

 

 

と言うより、もともと哲也は人が好きなのだろう。

 

 

ただ早くに両親を亡くし、頼れる親戚もおらず、自分自身しか頼れるものがなく、自分が強くなるしか生きるすべがなかった。

 

 

哲也にとっては、それが人に迷惑をかけずに自分らしく生きるすべだったのかもしれない。

 

 

 

『経験すべき苦労』と『余計な苦労』

 

 

『余計な苦労』が少なくなれば、
もっともっと自分らしく成長する機会に、
人は恵まれるのである。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

 

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