『§まっすぐに生きるのが一番』
「第55話:自分の幸せは自分で創り出すもの」

 

 

哲也が意図しないまま「殺し文句」を言った瞬間から、哲也と優花はお互いを認め合った唯一の存在として、恋人同士の関係になった二人の物語。

 

 

前回、優花は先輩から聞いた『経験すべき苦労』と『余計な苦労』の話を哲也にし、哲也も自分事のように聞いていた。
優花はさらに先輩の話を続けた。

 

 

「先輩は『経験すべき苦労』が、自分の幸せを創り出すって。

 

 

それから、『自分の幸せは自分で創り出すものだ』って。

 

 

だけどね、その話を延々と熱弁してくれたんだけど、なんか聞いているとだんだん腑に落ちなくなっちゃって」

 

 

「えっ、なんで。『自分の幸せは自分で創り出していくんだ』って、なんか腑に落ちる大事な言葉ように思ったけど」

 

 

「そうなんだけど、言葉だけ取れば私もとてもいい言葉だと思うんだけどね。でもなんか先輩の熱弁を聞いてると、なんか気が滅入ってきちゃって。

 

 

なんて言うのかな、話してる内容はその通りなんだけど、なんか話を聞いてると、そうしないと人間生きる意味がないみたいな感じになってきてね」

 

 

「よくあるいかがわし新興宗教の勧誘みたいな?(笑)」

 

 

「そうね、その言葉がピッタリかもね。

 

 

学生時代の先輩って、私と違って前向きで社交的、いつもアグレッシブにいろんなことに挑戦するって感じの女性(ひと)で。頭もいいからできる女って感じの先輩で。

 

 

でも、先輩どこか疲れてたかな。いい話をしてくれて勉強にもなったんだけど、愚痴っぽかったかな。それに今思うと、自分に言い聞かせるように話してたかもね」

 

 

「よくある話だよ。大きな壁にぶつかったり、これからの人生どうしたらいいのかよくわからなくなったり、そんな迷ったりした時に、“これだ!”と言うことに出会うと、藁をも掴む勢いで陶酔することってよくあるしね。

 

 

特に人生の哲学的な生きざまのようなことだと、なおさらかもね。

 

 

だから、私が救われてとてもいいものだから、あなたもそうしなさいって、強要するやつだよね」

 

 

「強要はされてないけど、そんなふうに思ったのかな」

 

 

「たぶん。思うんだけど、もし優花のおばあちゃんが同じこと言ったら、素直にここ(心)に入って来たと思うんだよね。

 

 

おばあちゃんの話って、いっさい強要地味たことは言わないし、“ただ、私がそう思っただけ”みたいな話し方するじゃん。

 

 

だから自分のペースで、素直な気持ちになって言葉が聞けるんだろなって思う。

 

 

 

ただ俺も先輩の気持ちわかるような気がするんだよな。

 

 

後輩に仕事を教えるようになって、自分の時と比べて後輩がなってないことにイライラしながら、つい上から目線で偉そうに先輩ぶって説明する自分がいたりしてね。

 

 

そんなときって、“俺は正しくて、おまえはダメだ”みたいな言い方してるんだろうってね。

 

 

俺が後輩だったらこう思うんだろうね。

 

 

“うざい!”って。

 

 

まあ、今思うと、そんなときって、 “こうしなければならない”“こうするものだ”って、思考も心もその言葉でがんじがらめになってて、その思考ですべてのものごとを見てた気がする。

 

 

そういう時って、人に寄り添うなんて発想なんかなくて、“私の考えに従ってください”みたいな横柄で傲慢な自分がいて。

 

 

“こうしなければならない”と思ってると、どんどん自分を追い込むように完璧さを求める自分がいたりして。

 

 

そして、最後は引くに引けなくなって、“自分は正しい、間違ってない”と、相手が間違っているという前提に立って、自分の考えを押し付け、最後は命令になるんだよね。

 

 

そうなると、自分の心を正当化しようと様々な理屈(思考)を思い巡らして考えを複雑にさせて、最後はものごとの本質よりも自分を正当化した立場を守ろうとするんだよね。

 

 

そのような意味では、優花のおばあちゃんは、いつも自然体で人の心に寄り添って話をするよね。すごいと思ったよ。

 

 

もし、今の話をおばあちゃんにしたらきっと、

 

 

“理屈(思考)を思い巡らして考えを複雑にするから、
心が素直になれないんですよ”と言われそうだね。

 

 

 

『自分の幸せは自分で創り出すもの』という言葉は、
まさにその通りだと思う。

 

 

だけどその言葉だけを取って、幸せを創り出そうとしても、心が素直な状態でなかったら、自分が満たされたい欲求だけを追い求め、それはエスカレートし、最後は自分に都合のいい独りよがりの幸せを感じられることだけを求めてしまう気がする」

 

 

「そうね、おばあちゃんが言ってた。心が素直でなかったら、本当の幸せは感じられないって。

 

 

そのような意味では、幸せを自分で創るっていうことは、

 

 

感謝し、ありがたみを感じられること。

 

 

そのような体験を日々創り出して生きるって言うことが、
『自分の幸せは自分で創り出す』ことになる。

 

 

それが『経験すべき苦労』にもなるだろうし、
その苦労には必ず感謝したくなるようなできごとがあり、
そして素直な心を育むんだろうね」

 

 

哲也はそこにいるのは優花ではなく、おばあちゃんと話をしている気持ちになって、うんうんと優花の話を聞いていたのだった。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

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