気づきの宝箱:「信頼の手」

 

先日、家の庭にほんとうに小さな人工池あるのだが、

その池を掃除するためそこに泳いでいる

11匹の金魚を 一時別の容器に移し替えたのである。

 

池の掃除が終わり水を張り、金魚を池に戻すため、

長方形の別容器に両手を入れて、金魚をすくおうとするのだが、

とても素早く逃げられてなかなか、うまく捕まえられない。

 

虫取りサイズの丸い網を投入したのだが、

長方形の容器の角をうまく使われ、

これまた苦戦を強いられたのである。

 

ようやく網で捕まえ網を上げて水を切り、

金魚を手で掴むと言った。

 

「なんで逃げるのか。池に戻して広々泳げるようにしているのに」

そして私はおもむろに手を容器に入れ、 金魚に手を差し出して思った。

 

「もし、金魚が自分だったら、

大きな手が無言で水に入って来たら、

怖くて逃げ延びようとするよな。

 

それが、救いの手なんて思えもしないし、

それは、手の方が勝手に思っていることで、

そんな発想すら浮かぶはずもなく、

逃げることに必死になって当たり前だ!」

 

さらに心に思う投影は、

「そう言えば、そんな人の手があるなんて考えもしなくて、

いつも自分で何とかしなければいけないと思っていたな。

 

そんな前はそこにある手は、 恩着せがましいお節介な手だったり。

信じて出された手を掴んだら、 騙され利用され、そして傷ついて。

温かい手だとみせかけて、 実は下心のあるこんたんのある手だったり。

 

自分が苦しみつらいときに、 誰かに手を差し伸べられても、

その手を握ってまた傷つき苦しむなら、 今のままの方がまだましだと。

 

それでも手を差し伸べられ続る手に、

今度はどんな風にその手を握ったらいいのか。

なにを信じて、その手を握ればいいのか。

 

相手の言葉、笑顔、瞳、そして涙。

それが偽善で無いなんて、どうやって信じればいいのか。

 

自分が苦しくなるだけだから、

もうその手をのけてほしい。

 

自分の視界から見えないように

どこかに消えてほしい。

 

自分は今までも生きてこられたから、

だからこれからも独りで生きられるから。

 

もうほっておいてほしい!

 

なぜなら、そんな手が一番今の自分の心を苦しめるのだから」

 

 

明日も「気づきの宝箱」のお話しを。

明後日は「このメソッドのコンセプトのまとめ」をお話します。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

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