『§まっすぐに生きるのが一番』
「第51話:意図的に生きる生き方③」

 

 

哲也が意図しないまま「殺し文句」を言った瞬間から、哲也と優花はお互いを認め合った唯一の存在として、恋人同士の関係になった二人の物語。

 

 

前回、哲也と優花は、講演の質問の時間の中で、おばあちゃんは考え方が変わりゆく子供や若者たちの時代に懸念を持ちつつも、

 

 

今のこれからの時代を生きていくためには、この時代にあった考え方を身に付けて生きていくことが、これからの私たちにとってとても重要なことだと話していた。

 

 

固唾を飲みながら聞き入る哲也と優花。

 

 

おばあちゃんの顔は、語気を強めた顔から穏やかな顔に戻り、静かに、諭すように話し出した。

 

 

 

「さて、今までは子供や若者のマイナスの変化について話してきましたが、今起こっていることは、今だかつてない史上はじめての時代を私たちは生きているのかもしれません。

 

 

その背景にあるのは、何といっても、溢れるシステムとバーチャルな世界の影響があると思います。

 

 

システムに順応すると、システム通りに人は生きると、人はどうしてもワンパターンになり、システムに合せる形でどうしても受身的になり、主体性を低下させていきます。

 

 

そのさまざまに用意されたシステムの中から、人はリスクのないものを選び、それなりの幸せを求めようとします。それは、ベターな間違いのないものを選ぶだけの生き方であり、すべてを“それなり”にこなす生き方かもしれません。

 

 

その一方で、静かに、与えられた枠組みの中で、黙々と努力する若者たちも増えていると言われています。

 

 

それは、何か新しい価値観の生き方が生まれつつあるようにも感じます。

 

 

 

はじめの質問では、就職の話がありました。

 

 

昔なら、出世のためやもっと豊かになりたいと思う若者が多くいたように思います。

 

 

しかし、この10年を見ていると、世の中のために役に立つことを目標にしているような若者たちが増えている気がします。

 

 

それだけ、私たちの精神性が、物欲から精神的な喜びを欲することへと変わってきた時代を、私たちは生きているように思うのです。

 

 

その精神的な喜びとは、私たち自身の存在意義を求めているのかもしれません。

 

 

そのためには、受身的な考えで生きるのではなく、『自ら意図的に生きる生き方』を身に付けていく必要があると思うのです。

 

 

それは、“~すれば、幸せになれる”という考えの生き方から、“幸せなことをもっと体験したいから、~する”という考えの生き方を、生きることが大切になってくるのです。

 

 

そのように考えれば、嫌なことや失敗があっても、幸せになる目的のために人はまた頑張れるのではないでしょうか。

 

 

幸せになるために、自ら選んで、その選んだことに責任を持って、行動できる気がしないでしょうか。

 

 

これが『自ら意図的に生きる生き方』だと思うのです。

 

 

 

“~すれば、幸せになれる”という考え方は、どこか失敗や上手く行かないことがあったら、幸せになれないような気がするのではないでしょうか。

 

 

この“~すれば、幸せになれる”の考え方の裏側では、“~しなければ、幸せになれない”と思っているから、失敗や嫌なことはなるべく避けたいと思い、

 

 

ベターな間違いのないものを選ぶ生き方を選び、すべてを“それなり”にこなす生き方を選んでしまうのかもしれません。

 

 

これからの時代は、自らのために、回りのために、世の中のために、どう生きるかが問われる時代になってくるのかもしれません。

 

 

そして、誰もがみんな知っているのです。今の国際情勢や経済、環境問題からも、新しい貧困も身近になってきている、現在の豊かさがどこかもろいものだということに、気づきはじめているのです。

 

 

何となく、このままではまずいのではないかと、それなりに不安を抱きつつ、今を生きているのではないでしょうか。

 

 

ただ、今はまだ深刻になっていないからと、何となく身動きのとれない状態にあるように思えるからと、世の中の巨大なシステムの前では思うように変わらないと思っているからと、私たちが変わることへの動きが鈍くなっているだけかもしれません。

 

 

 

私たちは、今だかつてない史上はじめての時代を私たちは生きている。

 

 

今の時代は、何もかも溢れるほどにそろっているのに、何もないような世界で生きている。

 

 

ものも情報も遊びもシステムも溢れていて溺れそうなのに、手ごたえのあるもの、信ずるもの、理想や希望、守るべき規範が失われた世界に生きているような気がする。

 

 

そのためか、私たちは、手ごたえを持つことができないまま、ただ、何となく用意されたものの中から、何かを選んで流れていくしかない。

 

 

この先に何があるのかもわからず不安であるが、そうかといって他の道が見えない。

 

 

ぼんやりと存在するこれまでの方角に、黙々と歩みを進めるしかないと、このままあきらめた生き方をし続けるしかないのだろうか。

 

 

 

『自ら意図的に生きる生き方』とは、人生の主人公は自分自身であるということです。

 

 

主人公だからこそ、日々あらゆることを、自分の人生を自らの手によって選択し、行動することができるのです。

 

 

それが、自ら律する『自律した生き方』になるのです。

 

 

人は幸せになるために生まれて来たのです。

 

 

幸せは日々の中にもたくさんあります。その幸せをたくさん増やしていくのが、『人生の徳を積む』と言うことのように思います。

 

 

たくさんおしゃべりをしましたが、何か一つでも心に残れば幸いです。

 

 

ご清聴ありがとうございました。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

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